1967年のヒット曲 YoutubeでPV視聴ヒットパレード【無料音楽動画試聴BLOG】

YOUTUBEPV視聴ヒットパレード【無料音楽動画試聴BLOG】』は、無料視聴できるYOUTUBE等のPV音楽動画を紹介しています。
[ドラマの主題歌] [サイトマップ] [RSS] [ADMIN]

スポンサーサイト

Edit
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」

Edit

デイドリーム・ビリーバー(Day Dream Believer) - モンキーズ(Monkees)無料音楽動画
60年代後半にかけてアメリカで大人気だったロックバンドモンキーズ。「デイドリーム・ビリーバー」は、そんな彼らを代表するヒット曲で、1966年にNBC系列で『ザ・モンキーズ・ショー』が始まり、デビューアルバム『恋の終列車』はテレビとの相乗効果により500万枚を売上げる大ヒットとなりました。(同番組は、当時日本でもTBS系列にて放送されてます。)

日本では、1980年にコダックフィルムが「デイドリーム・ビリーバー」をCM採用。また『ザ・モンキーズ・ショー』の再放送により、一躍リバイバルブームが起こり、オリコンアルバムチャートトップ100にオリジナルアルバム7枚同時ランクインという記録を残しています。

また1989年には、シンガーソングライターでありロック歌手の忌野清志郎によって「デイドリーム・ビリーバー」はカバーされ、発売当初はエースコックのCMソングとして、2006年にはサントリーモルツのCMで使用されました。(尚、日本語詞は忌野清志郎の完全な創作でモンキーズの歌詞とは内容が全く違います。)

スポンサーサイト

ジャッキー吉川とブルーコメッツ「ブルー・シャトウ」

Edit

ジャッキー吉川とブルーコメッツ「ブルー・シャトウ」無料音楽動画視聴
ブルー・シャトウ」は、1967年3月15日に発売されたジャッキー吉川とブルーコメッツのシングルで、150万枚の大ヒットを記録したジャッキー吉川とブルーコメッツの代表曲です。

この「ブルー・シャトウ」は、ジャッキー吉川とブルーコメッツの曲としては、先行する『青い瞳』・『青い渚』に続く「青い」シリーズの第三弾。ジャッキー吉川とブルーコメッツ最大のヒット曲となり、「ブルー・シャトウ」のヒット直後から歌詞の各単語の語尾のところに「トンカツ」「ニンニク」「コンニャク」「テンプラ(テンドン)」などといった食べ物の名前を付けた替え歌が大流行し、一種の社会現象にもなりました。

また「ブルー・シャトウ」の大ヒットで、ジャッキー吉川とブルーコメッツは、同年の第9回日本レコード大賞に輝きました。ちなみに、「グループ・サウンズ=不良」のイメージが強かった当時、ジャッキー吉川とブルーコメッツは、数多くのグループ・サウンズの中で唯一NHKへの出演が許されたグループ・サウンズで、同年の第18回NHK紅白歌合戦にも2度目の出場を果しています。

ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」

Edit

ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」無料音楽動画視聴
1967年にデビューしてグループサウンズ・ブームを支えたザ・タイガースの2ndシングル「シーサイド・バウンド」です。

ザ・タイガースは、1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビューしたグループ・サウンズバンドで、この「シーサイド・バウンド」、そして3rdシングルの「モナリザの微笑」で大ブレーク。折からのし、グループサウンズ・ブームも相まって、ザ・タイガースは瞬く間にトップ・アイドルへと駆け上っていきました。特に、当時の男性歌手としては、あまりにも日本人離れした大きな瞳と端正かつ甘美なルックスの沢田研二(ジュリー)に、10代の少女から熱狂的な人気を博し、沢田研二は国民的アイドルへとなっていきます。

ちなみに、デビュー当時に沢田研二がファンであった女優のジュリー・アンドリュースから、沢田研二のニックネーム”ジュリー”と呼ばれるようになったそうです。ザ・タイガースはその後、71年日本武道館のコンサートを最後に解散。なお、この「シーサイド・バウンドド」は、後に89年の「タイガース・メモリアル・クラブ・バンド」コンサートにトリで出演し、ラストで出演者と共に演奏した曲です。

美空ひばり「真っ赤な太陽」

Edit

美空ひばり「真っ赤な太陽」無料音楽動画視聴
1967年、美空ひばりがミニスカートで歌い大ヒットした「真っ赤な太陽」です。。

この「真っ赤な太陽」は、グループサウンズ・ブームを背景に、美空ひばりとジャッキー吉川とブルー・コメッツとの共演で話題となり大ヒット。この曲のヒットをきっかけに、GS風の伴奏で女性歌手がソロで歌うスタイルが当時は流行しました。

美空ひばりの代表曲でもあるこの「真っ赤な太陽」は、累計売上140万枚となる大ヒットとなり、これは美空ひばりが発表したシングル中第4位に記録されるセールスを上げてます。

フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」

Edit

フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」無料音楽動画視聴
帰って来たヨッパライ」は、1967年12月25日に発売されたフォーク・クルセダーズのプロデビューシングルで、オリコンチャート第1位に輝き131万枚のセールスを記録した、フォーク・クルセダーズの代表曲です。

フォーク・クルセダーズ(正式にはザ・フォーク・クルセダーズ)は、60年代後半に一世を風靡した音楽制作集団で、加藤和彦・北山修を中心に、はしだのりひこ等がそのメンバー。「帰って来たヨッパライ」は、68年に開始されたオリコンで史上初のミリオンヒットとなり、当時の日本のバンドによるシングル売り上げ一位となる爆発的売れ行きを見せ、一躍メンバーは時の人になりました。

この「帰って来たヨッパライ」は、早回しテープを使った曲であるため、ライブのコンサートで演奏することができない特異な作品でした。ちなみに「帰って来たヨッパライ」は、68年のオリコン年間シングル売上げ第2位に記録されています。

バニラ・ファッジ「キープ・ミー・ハンギング・オン」

Edit

バニラ・ファッジ「キープ・ミー・ハンギング・オン」無料音楽動画視聴
バニラ・ファッジの代名詞となっている、この「キープ・ミー・ハンギング・オン」ですが、元々はシュープリームスが唄って全米No.1となった曲で、バニラ・ファッジのファースト・アルバム『キープ・ミー・ハンギング・オン』からシングル・カットされ、全米チャート6位になる大ヒット曲でした。

また、3分ほどに短縮されて収録されたシングル・バージョンとは別に、アルバムではスローで色彩感の強い7分の曲にアレンジされた、フル・ヴァージョンの「キープ・ミー・ハンギング・オン」が収録され、アルバム『キープ・ミー・ハンギング・オン』も全米6位となっています。

ちなみに、バニラ・ファッジは、66年から69年まで活動していたアメリカのバンドで、バンド名の由来は、当時のアメリカで販売されていたアイスクリームの商品名からとったもの。この「キープ・ミー・ハンギング・オン」は日本でもヒットし、オリコンチャート最高11位で20万枚の売り上げを記録しています。

千昌夫「星影のワルツ」

Edit

千昌夫「星影のワルツ」無料音楽動画視聴
星影のワルツ」は、千昌夫の出世作となった代表曲で、67年~68年にかけて爆発的大ヒットとなった千昌夫の名曲です。

この「星影のワルツ」は、1966年3月24日に発売された3枚目のシングルのB面に収録された楽曲でしたが、67年には全国の有線放送で火がつきA面扱いで再発売してミリオンセラーとなる大ヒットとなりました。

千昌夫は、68年の第19回NHK紅白歌合戦にこの「星影のワルツ」で初出場を果たします。またこの「星影のワルツ」は、開設1年目のオリコンチャートの第1回目となる年間シングルチャート第1位に記録されました。

モンキーズ「モンキーズのテーマ」

Edit

モンキーズ「モンキーズのテーマ」無料音楽動画視聴
モンキーズのテーマ」は、アメリカNBC系列で66年9月から68年3月にかけて放送され、国内では67年10月から69年1月までTBS系列で放送された海外ドラマ『ザ・モンキーズ・ショー』のテーマソングです。

ザ・モンキーズ・ショー』は、ロサンゼルス市郊外のビーチウッドに住む売れないミュージシャン4人が繰り広げるドタバタコメディドラマ。成功を目指す4人の周りで起こる出来事を一話完結型で描かれてました。

番組の冒頭に流れてた「モンキーズのテーマ」は、国内でも大ヒット。1967年3月に発売されたシングルは、68年からチャートを開設したオリコンの、初回のチャートで第4位に記録されるロングヒットになっています。

ザ・ピーナッツ「情熱の花」

Edit

ザ・ピーナッツ「情熱の花」無料音楽動画視聴
情熱の花」は、1959年にザ・ピーナッツが日本語訳詩でカヴァーして大ヒットした、ザ・ピーナッツの数ある代表曲のうちの1曲です。

この「情熱の花」は、ベートーヴェンの「エリーゼのために」のメロディを使用して、アメリカの歌手カテリーナ・ヴァレンテの「PASSION FLOWER」を、日本語で訳詩して発表。現在でもザ・ピーナッツの定番曲の1つになっています。

情熱の花」の歌詞は、「ララララ…小さな胸に」から始まるものと、「ラララララ…私の胸に」で始まるものとの2種類があり、レコードに収録されたものは前者の歌詞のものが多かったようです。ザ・ピーナッツは、1959年の第10回NHK紅白歌合戦にこの「情熱の花」で初出場しますが、紅白では後者の歌詞で歌われました。また、67年には曲調を変更して再録音された「情熱の花」も発表された。

黛ジュン「恋のハレルヤ」

Edit

黛ジュン「恋のハレルヤ」無料音楽動画視聴
恋のハレルヤ」は、1967年に発売された黛ジュンのシングルで、70万枚を売り上げる大ヒットとなった、黛ジュンの代表曲です。

黛ジュンは、64年に渡辺順子の名でデビューするもヒット曲に恵まれず、この「恋のハレルヤ」で黛ジュンと改名して再デビュー。小柄な体に似合わないパンチの効いた歌声が話題となり、流行のGSを取り入れたサウンドで、一気に注目を集めて当時の若者を中心に人気を得ます。

恋のハレルヤ」が大ヒットした67年~68年の2年間で、黛ジュンのレコード売上は500万枚を記録。60年代後半を代表する女性歌手として活躍されました。

ザ・ピーナッツ「可愛い花」

Edit

ザ・ピーナッツ「可愛い花」無料音楽動画視聴
可愛い花」は、1959年に発売されたザ・ピーナッツのデビュー曲で、1959年2月11日にザ・ピーナッツの歌手デビューを行った際にこの曲を発表。60年代のトップアイドルはここから歩みを始めました。

他に類を見ない見事な歌唱力を持った双子の姉妹ザ・ピーナッツはここから一気にスターダムに駆け上っていくわけですが、この「可愛い花」は、ピーナッツ・ハッコーがクラリネットを吹いたボブ・クロスビー楽団の演奏で大ヒットしました。

ザ・ピーナッツは、同年の第10回NHK紅白歌合戦に初出場します。しかし当時ヒット中の「情熱の花」を歌い、これまで紅白ではこの「可愛い花」は歌われてはいません。ちなみに67年頃に、「可愛い花」は再録音されています。

ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」

Edit

ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」無料音楽動画視聴
恋のフーガ」は、1967年8月に発売されたザ・ピーナッツのヒット曲で、オリコンシングルチャートで最高20位(オリコン正式開始前の非公式のチャート)となった、 「ふりむかないで」「恋のバカンス」とともにザ・ピーナッツの代表曲として上げられる1曲です。

ザ・ピーナッツの奏でるハーモニーとメロディは美しく、彼女等の抜群の歌唱力は当時の多くの音楽ファンに愛されました。その音楽の斬新さは、今聴いても古臭さを感じさせず、90年代以降に多くのアーティストによってカバーされており、03年には小柳ゆき、05年には辻希美と加護亜依の2人による女性デュオ『W』(ダブルユー)が、この「恋のフーガ」をカバーしてヒットさせています。

なお、ザ・ピーナッツによる「恋のフーガ」には、英語バージョンも存在していますが、当時アメリカで絶大なる人気のあった『エド・サリバン・ショー』などにも出演し、世界に(当時の日本の)和製ポップスを伝えた功績は高く評価されるものです。

ザ・ワイルドワンズ「想い出の渚」

Edit

ザ・ワイルドワンズ「想い出の渚」無料音楽動画視聴
日本のグループサウンズを代表するバンドの一つのザ・ワイルドワンズのデビュー曲「想い出の渚」は、1966年11月5日にリリースされ、翌67年1月にはヒットチャートの1位に輝いた、ザ・ワイルドワンズの代表曲です。

ザ・ワイルドワンズは、リーダーの加瀬邦彦を中心に当時若者に絶大なる人気のあった雑誌『平凡パンチ』に募集を載せ結成されたグループサウンズで、そのバンド名は親交のあった加山雄三が、当時アメリカではジェームス・ディーンなどのかっこいい奴のことを“ワイルド・ワン”と呼んでいたそうで、ザ・ワイルドワンズと決めたとのこと。

ザ・ワイルドワンズが所属していたレコード会社の東芝では、当初この「想い出の渚」をB面に予定されていましたが、リーダーの加瀬邦彦が「想い出の渚」をA面にしなければ東芝を辞めると言って、ようやく60年代の湘南サウンドの代表曲とも言われる「想い出の渚」はリリースされました。

PVアーティスト一覧























上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。