1968年のヒット曲 YoutubeでPV視聴ヒットパレード【無料音楽動画試聴BLOG】

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メリー・ホプキン「悲しき天使」

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悲しき天使」は、1968年にポール・マッカートニーが弱冠18歳のフォーク歌手メリー・ホプキンをプロデュースして世界的に大ヒットしました。

メリー・ホプキンは、ウェールズ出身の英国の歌手です。この「悲しき天使」は、同時期に英国の有名スターであったサンディ・ショーと競作する格好であったにも関わらず、メリー・ホプキンの録音が全英チャートの首位に輝き、全米チャートでも第2位となります。

日本では、1968年12月5日に「悲しき天使」は発売されて、シングル47万枚の売上げを記録。オリコンチャートでも洋楽としては異例の第1位となり、翌69年のオリコン年間シングルチャートでも17位となる大ヒットでした。ちなみに、森山良子や広川あけみによってカバーされています。

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ザ・タイガース「花の首飾り」

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花の首飾り」は、1968年3月15日に発売されたザ・タイガースのシングルで、オリコンチャート第1位となって68万枚を売り上げた、ザ・タイガースの代表曲です。

この「花の首飾り」は、GSブームの全盛期にリリースされたシングルで、「花の首飾り」の歌詞は当時の人気雑誌『明星』で一般から募集されたものでした。

また「花の首飾り」は、東映映画『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』の主題歌「銀河のロマンス」との両A面シングルとして発売されたものです。なお「strong>花の首飾り」は、同年のオリコン年間シングル売上げ第6位に記録される大ヒットでした。

フォーク・クルセダーズ「悲しくてやりきれない」

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悲しくてやりきれない」は、1968年3月21日に発売されたフォーク・クルセダーズの2枚目のシングルで、オリコンチャート最高3位となって26万枚を売り上げた、フォーク・クルセダーズの代表曲です。

オリコンで史上初のミリオンヒットになるなど、爆発的なヒットとなった「帰って来たヨッパライ」に続く、シングル第2弾として発売予定していた「イムジン河」が政治的配慮から発売中止となり、急遽フォーク・クルセダーズの2枚目のシングルとして発売されたのが、この「悲しくてやりきれない」でした。

「イムジン河」が発売中止になったことで、加藤和彦はホテルの一室に三時間ばかり閉じ込められ、残り一時間になった時、「イムジン河」の音符を逆さからたどっていったメロディ-をもとに「悲しくてやりきれない」を書いたそうです。ちなみに「イムジン河」は、02年にシングルとして発売されカップリングには「悲しくてやりきれない」が収録されていました。

フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」

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帰って来たヨッパライ」は、1967年12月25日に発売されたフォーク・クルセダーズのプロデビューシングルで、オリコンチャート第1位に輝き131万枚のセールスを記録した、フォーク・クルセダーズの代表曲です。

フォーク・クルセダーズ(正式にはザ・フォーク・クルセダーズ)は、60年代後半に一世を風靡した音楽制作集団で、加藤和彦・北山修を中心に、はしだのりひこ等がそのメンバー。「帰って来たヨッパライ」は、68年に開始されたオリコンで史上初のミリオンヒットとなり、当時の日本のバンドによるシングル売り上げ一位となる爆発的売れ行きを見せ、一躍メンバーは時の人になりました。

この「帰って来たヨッパライ」は、早回しテープを使った曲であるため、ライブのコンサートで演奏することができない特異な作品でした。ちなみに「帰って来たヨッパライ」は、68年のオリコン年間シングル売上げ第2位に記録されています。

ローリング・ストーンズ「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」

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ローリング・ストーンズの1968年の大ヒット曲「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」です。

60年代のローリング・ストーンズの代表曲でもある「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」は、ローリング・ストーンズを代表するロックンロール・ナンバーで、文化放送で長年放送されていた洋楽チャートのラジオ番組『全国ポピュラーベストテン』の前身である「オール・ジャパン・ポップ20」では、68年の年間チャート第1位に輝いています。

ちなみに「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」は、日本では1968年7月10日にリリースされ、オリコンチャート最高17位で17万枚の売り上げでした。

千昌夫「星影のワルツ」

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星影のワルツ」は、千昌夫の出世作となった代表曲で、67年~68年にかけて爆発的大ヒットとなった千昌夫の名曲です。

この「星影のワルツ」は、1966年3月24日に発売された3枚目のシングルのB面に収録された楽曲でしたが、67年には全国の有線放送で火がつきA面扱いで再発売してミリオンセラーとなる大ヒットとなりました。

千昌夫は、68年の第19回NHK紅白歌合戦にこの「星影のワルツ」で初出場を果たします。またこの「星影のワルツ」は、開設1年目のオリコンチャートの第1回目となる年間シングルチャート第1位に記録されました。

ピンキーとキラーズ「恋の季節」

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恋の季節」は、1968日7月20日に発売されたピンキーとキラーズのデビューシングルで、オリコンチャート第1位に輝き207万枚のセールスを記録した、ピンキーとキラーズの代表曲です。

ピンキーとキラーズは、今陽子(ピンキー)と男性ボーカル4人(キラーズ)の歌手ユニットで、トレードマークの山高帽の斬新さが受けて、この「恋の季節」は発売直後から爆発的ヒットを記録し、オリコンで17週間1位となるミリオンセラーとなり、驚異的な売り上げを残します。

同年の年末には、第10回日本レコード大賞でピンキーとキラーズは新人賞を獲得、その他数々の新人賞を総なめにし、第19回NHK紅白歌合戦では男女混合グループとしては初めての出場を果たしました。ちなみに、この「恋の季節」は、同年のオリコン年間シングル売り上げ第3位を記録する大ヒットでした。

いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」

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ブルーライト・ヨコハマ」は、1968年12月25日に発売されたいしだあゆみのシングルで、オリコンチャート第1位となり100万枚を売り上げた、いしだあゆみの代表曲です。

いしだあゆみは、64年「ネェ、聞いてよママ」でレコードデビュー。68年にレコード会社を移籍して、同年末に発売された「ブルーライト・ヨコハマ」が69年初頭から大ブレークし、一躍人気歌手の仲間入りをします。

ブルーライト・ヨコハマ」の大ヒットで、いしだあゆみは69年の第20回NHK紅白歌合戦に初出場。以後77年まで9年連続出場を果たしました。ちなみに「ブルーライト・ヨコハマ」は、69年のオリコン年間シングル売上げで第3位に記録されています。

黛ジュン「天使の誘惑」

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天使の誘惑」は、1968年5月1日に発売された黛ジュンのシングルで、オリコンチャート最高3位となり47万枚を売り上げた、黛ジュンの代表曲です。

この「天使の誘惑」は、67年にヒットした「恋のハレルヤ」を凌ぐ大ヒットとなり、この年の日本レコード大賞の栄冠に輝き、同年の第19回NHK紅白歌合戦で黛ジュンは、2年連続2度目の出場を果たしました。

また、「天使の誘惑」が主題歌となった同名映画でも主演を務め、黛ジュンは売れっ子女優の仲間入りも果たします。しかし70年代には低迷したものの、83年に、にっかつロマンポルノ『女帝』にも出演して話題となりました。

モンキーズ「モンキーズのテーマ」

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モンキーズのテーマ」は、アメリカNBC系列で66年9月から68年3月にかけて放送され、国内では67年10月から69年1月までTBS系列で放送された海外ドラマ『ザ・モンキーズ・ショー』のテーマソングです。

ザ・モンキーズ・ショー』は、ロサンゼルス市郊外のビーチウッドに住む売れないミュージシャン4人が繰り広げるドタバタコメディドラマ。成功を目指す4人の周りで起こる出来事を一話完結型で描かれてました。

番組の冒頭に流れてた「モンキーズのテーマ」は、国内でも大ヒット。1967年3月に発売されたシングルは、68年からチャートを開設したオリコンの、初回のチャートで第4位に記録されるロングヒットになっています。

ゴールデンカップス「長い髪の少女」

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長い髪の少女」は、1968年4月1日に発売されたゴールデンカップスのシングルで、20万枚の売上げでオリコンチャート最高14位となった、ゴールデンカップスの代表曲です。

ゴールデンカップスは、66年に結成されたグループ・サウンズ(GS)で、バンド名は結成当時にこのバンドが演奏していた本牧のダンスホール「ゴールデン・カップ」がその由来と言われています。

ゴールデンカップス結成以降、71年の解散に至るまで「長い髪の少女」「愛する君に」などをヒットさせ、異色の本格派GSとして当時人気を博しました。ちなみにゴールデンカップスのメンバーには、柳ジョージや、ゴダイゴのリーダーだったミッキー吉野、クリエーションのヴォーカルだったアイ高野など、後に日本のポップシーンを賑わす錚々たるメンバーが在籍していました。

1910フルーツガム・カンパニー「サイモンセッズ」

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1910フルーツガム・カンパニー「サイモンセッズ」無料音楽動画視聴
60年代後期から70年代初頭にかけてブームとなったバブルガムミュージックを代表するアメリカの5人組のバンド1910フルーツガム・カンパニーの「サイモンセッズ(SIMON SAYS)」です。

1910フルーツガム・カンパニーは、68~70年頃にかけて人気のあったポップグループで、この「サイモンセッズ」は、日本では1968年6月1日に発売され30万枚を売り上げてオリコンチャート最高7位を記録するヒットでした。

当時深夜ラジオにかじりついてアメリカのポップスを聴いていた方にはお奨めの1曲です。ちなみに当時のオリコンチャートでは、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の陰に隠れてしっかりと、1910フルーツガム・カンパニーの「サイモンセッズ」がチャートインしていました。

青江三奈「伊勢佐木町ブルース」

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伊勢佐木町ブルース」は、1968年1月5日に発売された青江三奈のシングルで、57万枚を売り上げてオリコンチャート最高5位となった、青江三奈の代表曲です。

青江三奈は、高校卒業後クラブ歌手となり66年に「恍惚のブルース」で歌手デビューし、68年に発売したこの「伊勢佐木町ブルース」が大ヒット。60年代後期の日本の歌謡界を代表する女性歌手となり、ブルースの女王として活躍されました。

この「伊勢佐木町ブルース」は、同年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、同年大晦日の第19回NHK紅白歌合戦に青江三奈は2度目の出場を果たします。しかし、楽曲の冒頭の“あぁ、んっあぁ♪"という妖艶な溜息部分をカズーの音色に差し替えられて演奏され、後に話題となりました。ちなみに「伊勢佐木町ブルース」は、68年度のオリコン年間シングルチャート第11位に記録される大ヒットでした。

ザ・テンプターズ「エメラルドの伝説」

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エメラルドの伝説」は、1968年6月15日に発売されたザ・テンプターズのシングルで、46万枚を売り上げてオリコンチャート第1位となったザ・テンプターズの代表曲です。

ザ・テンプターズは、萩原健一(ショーケン)をメインボーカルとしていた60年代後半のグルーサウンズブーム時の人気グループで、そのサウンドはローリングストーンズなどのロック系を得意としていました。また、当時のGSでは珍しくオリジナル曲が多かったのもザ・テンプターズの特徴です。

68年発売の「神様お願い!」が大ヒットして、この「エメラルドの伝説」もは角オリコン1位となり、当時人気No1であったザ・タイガースと並ぶ人気グループサウンズとなっています。ちなみにザ・テンプターズは、GSブームが衰退するとともに71年に解散となります。

ビージーズ「マサチューセッツ」

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マサチューセッツ(Massachusetts)」は、1967年12月25日に発売されたビージーズ(The Bee Gees) のシングルで、51万枚の売り上げを記録してオリコンチャート第1位となった初期のビージーズの代表曲です。

全世界で2億3000万枚を超えるレコードを売り上げているビージーズは現在に至るまでビートルズ、エルヴィス・プレスリー、マイケル・ジャクソン、ポール・マッカートニーと並んで歴史上最も成功した上位5ユニットのアーティストに数えられる偉大なるグループです。

この「マサチューセッツ」は、全米・全英で第1位に輝き、日本でも68年から始まったオリコンチャートで、洋楽として最初に第1位となっており、68年のオリコン年間シングルランキングでも第9位を記録。まさに全世界での大ヒットした68年を代表するヒット曲になります。

サイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」

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サイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」無料音楽動画視聴
サウンド・オブ・サイレンス」は、1965年に発表されたサイモン&ガーファンクルの2作目のオリジナル・アルバム『サウンド・オブ・サイレンス』のタイトル曲で、サイモン&ガーファンクルルの人気を確立したともいえる作品です。

この「サウンド・オブ・サイレンス」は、全米チャートに143週チャート・インという超ロング・セラーとなり、後にダスティ・ホフマンとキャサリン・ロスが共演した68年公開のに映画『卒業』のテーマ曲となります。

ポール・サイモンの作り出す深い内容の詞と曲に、サイモン&ガーファンクルの絶妙なハーモニーが、映画『卒業』ではふんだんに使用され、日本をはじめ世界的にも大きな成功を収めることになります。ちなみに、サントラ「卒業」と同アルバムに収められた「ミセス・ロビンソン」は、69年のグラミー賞を受賞しています。

キングトーンズ「グッド・ナイト・ベイビー」

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キングトーンズ「グッド・ナイト・ベイビー」無料音楽動画
グッド・ナイト・ベイビー」は、1968年5月1日に発売されキングトーンズの大ヒット曲です。

キングトーンズは、昭和35年に男性4人組の編成として結成され、米軍キャンプや全国のナイトクラブ等で活動。この 「グッド・ナイト・ベイビー」のヒットで一躍脚光を浴びるこtになります。

まだブラック・ミュージックの"ブ"の字もない60年代より活躍し続けたキングトーンズ。当然の如くリスペクトを口にするアーティストも、大滝詠一を始め山下達郎や佐野元春等後を絶たず、その功績は絶大なる日本のR&Bの大御所です。

ポール・モーリア「恋は水色(Love is blue)」

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ポール・モーリア「恋は水色(Love is blue)」無料音楽動画
恋は水色(Love is blue)」と言えば、ポール・モーリアの代表曲としてだけでなく、イージーリスニングの代表曲として広く世界中で親しまれている音楽です。

元々「恋は水色(Love is blue)」は、アンドレ・ポップ作曲のヴィッキーが歌った曲なのですが、ビートの効いたアップテンポの曲であった為かそれほど注目されず、ポール・モーリアが1968年にイージーリスニング調に編曲しなおしてアメリカでの大ヒット。

世界的なヒット(約500万枚)になった「恋は水色(Love is blue)」は、イージーリスニングの曲が全米チャート第1位(連続5週トップ)を記録して、当時衝撃を受けた方も多いはず。一躍世界へポール・モーリアの名を馳せた出世作となりました。

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