赤い鳥は、70年に結成された5人組のフォークグループで、各人がボーカルを担当することができ、美しいハーモニーが魅力的なグループでした。この「翼をください」は、発売3年で100万枚を突破するヒットとなり、竹田の子守唄ともども赤い鳥の代表曲となります。
この「翼をください」は、91年には川村かおりがカバーして約28万枚のヒット。97年11月に元赤い鳥の山本潤子がシングルとして発売。折しも、FIFA W杯フランス大会の予選でサッカー日本代表チームの応援歌として歌われ、この曲をモチーフにしたフジテレビ系ドラマ「翼をください!」も放送されました。
この「ジャンバラヤ」は、元々はハンク・ウィリアムスの曲でカーペンターズがカバーしてヒットしました。ちなみに「ジャンバラヤ」とは、現在日本ではファミレスなどのメニューによくある、お米を使ったアメリカ南部料理のことで、この料理を食べて友を送り出そう」といった内容の歌です。(詳しくはコチラを)
また、この「ジャンバラヤ」は、文化放送のラジオ番組「オール・ジャパン・ポップ20」では、1974年の1月第1週から14週連続でトップ10入りし、6週で第1位を獲得。また同番組の74年の年間ランキングで第10位に記録されるヒットとなりました。
現在でもテレビ等で天地真理の話題になると、この「恋する夏の日」がBGMに流れる、言わずと知れた天地真理の代表曲で、チャート1位を6週に亘って獲得し、同年のオリコン年間シングルチャート第8位に記録される大ヒットでした。
天地真理は、この「恋する夏の日」で同年の第24回NHK紅白歌合戦に2度目の出場を果たし、テニスウェアの衣装で披露しました。
カーリー・サイモンは1971年にデビューし、70年代のシンガーソングライター・ブームの一翼を担ったアーティストです。77年の映画「007_私を愛したスパイ」の主題歌とともに「うつろな愛 」は、カーリー・サイモンの代表曲と言えます。
この「うつろな愛」は、ローリング・ストーンズのリード・シンガーとして世界的に有名な、ミック・ジャガーがバックボーカルで参加した事でも話題となりました。
「草原の輝き」が大ヒットしたアグネス・チャンは、この「小さな恋の物語」で初のオリコンチャート1位を獲得。しかし、前作の「草原の輝き」の印象が強すぎたせいか、一般的に「小さな恋の物語」の印象は薄く、テレビの懐メロ番組で歌われること少ないようです。
ちなみに「小さな恋の物語」は、アグネス・チャン最大のヒット曲であり、翌74年のオリコン年間シングル売上げ第14位に記録される大ヒットになってます。
※この動画は、夜ヒットでのオープニングのものになります。
浅田美代子は、当時国民的に人気のあったTBS系ドラマ『時間ですよ』に、お手伝い役としてデビュー。劇中歌として番組の後半に、浅田美代子とギターを抱えた堺正章が「赤い風船」を唄う映像がお決まりとなっており、毎週お茶の間に流れて大ヒットしました。
「赤い風船」は、同年暮れの日本レコード大賞で新人賞を獲得しますが、残念ながら紅白への出場は逃します。浅田美代子は、77年に吉田拓郎との結婚で一時芸能活動を止めるのですが、結局1度もNHK紅白歌合戦に出場することはありせんでした。ちなみに当時NHKでは、歌手として出演するには局のオーディションに合格する必要があり、なかなか合格できなかった浅田美代子の歌唱力が理由だったようです。
この「いつのまにか少女は」は、73年4月14日に行われた新宿厚生年金会館小ホールでの「陽水リサイタル」を収録した、井上陽水の3枚目のアルバム『陽水ライヴ もどり道』の2曲目にも収録され、04年に井上陽水のプロデュースで、Every Little Thingの持田香織がこの「いつのまにか少女は」をカバーしてソロシングルを発売してヒットしました。
ちなみに、アルバム『陽水ライヴ もどり道』は、90週間もオリコンのトップ10にランクインするロングセラーとなり、ライブLPとしては歴代1位のセールスを記録した大ヒットアルバムになります。
同年暮れには「危険なふたり」で第4回日本歌謡大賞、第15回日本レコード大賞大衆賞受賞。大晦日の第24回NHK紅白歌合戦には、前年に続き2年連続2度目出場となります。
この「危険なふたり」からは、スタイリストとして早川タケジが参加。以降の斬新な沢田研二のファッションは、後年”元祖ヴィジュアル系”などと表現されるようになっていきます。
この「ひこうき雲」は、夭逝した旧友をモチーフにした曲で、誰もが早すぎる死にただただ悲観するなか主人公は「けれど幸せ」と言い、空に憧れてそれそのままに空へ消えていった者への理解と羨望を歌った荒井由実(松任谷由実)の名曲です。
同アルバムのA面第1曲目に「ひこうき雲」は収録され、B面の最後の曲にもエンディングとして再びこの「ひこうき雲」が短く収録されていました。 また、1973年11月5日にアルバム『ひこうき雲』から先行してシングルカットされた荒井由実(松任谷由実)の2ndシングル『きっと言える』のカップリング曲としても「ひこうき雲」は収録され、荒井由実(松任谷由実)の原点とも言える代表曲になります。
このアルバム『伽草子』は、前作アルバム『元気です』に続く、吉田拓郎(よしだたくろう)の出世作第2弾とも言えるアルバムで、吉田拓郎(よしだたくろう)のこの当時の代表曲とも言える、この「ビートルズが教えてくれた」や「暑中見舞い」「蒼い夏」などが収録されていました。
この「ビートルズが教えてくれた」は、メッセージ色が強い曲で、「もらうも捨てるも勝手さ♪」のフレーズがとても印象的でした。
この「裸のビーナス」も前作「愛への出発」と同じ作詞は岩谷時子、作曲は筒美京平の作品で、郷ひろみはこの「裸のビーナス」で、同年の第4回日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞。アイドル時代の郷ひろみを代表するヒット曲になります。
ちなみに、シングル「裸のビーナス」のジャケットは、郷ひろみの全身ピンナップとなっていました。なお「裸のビーナス」は、同年のオリコン年間シングル売上げ第16位に記録されるヒットでした。
この「個人授業」は、72年にグループ名を「ベイビーブラザーズ」から「フィンガー5」と改め、レコード会社を移籍して第一弾シングルとして発売され大ヒット。同年のオリコン年間シングルチャート第18位に記録されるヒットになりました。
またこの「個人授業」は、06年にはmisonoにカバーされ、シングル「個人授業」に加え、アルバム『never+land』では「フィンガー5 メドレー」として「個人授業」を含むフィンガー5の代表曲4曲をカバーしています。
あべ静江は、短大在学中に東海ラジオの人気DJとなり清純派美人歌手として、この「コーヒーショップで」で歌手デビュー。その美貌で映画・ドラマなどのマドンナ(ヒロイン)役など女優としても活躍しました。
この「コーヒーショップで」のリリースは1973年5月25日で、28万枚のセールスを記録しオリコンチャート最高9位。2ndシングル「みずいろの手紙」も大ヒットし、同年のレコード大賞新人賞を受賞しています。ちなみ、当時大人気だったギャグ漫画の傑作『がきデカ』のあべ先生ことあべ美智子のキャラクター設定は、あべ静江がモデルだったそうです。
あべ静江は、短大在学中に東海ラジオの人気DJとなり、73年に「コーヒーショップで」でデビュー。この「みずいろの手紙」が大ヒットし、70年代に清純派美人歌手として、また後にドラマや映画でも活躍しました。
この「みずいろの手紙」のヒットによって、あべ静江は同年の第25回NHK紅白歌合戦に初出場を果しmす。また、同年の第15回日本レコード大賞では、デビュー曲の「コーヒーショップで」で新人賞も獲得しています。
この「ジェット最終便」で、朱里エイコは73年の大晦日の第24回のNHK紅白歌合戦に2年連続2度目出場を果します。
ちなみに「ジェット最終便」は、オリコンチャート最高61位で売上げ枚数は4万枚。紅白出場曲で朱里エイコの代表曲となる「ジェット最終便」ですが、売上げ的にはそれ程ではなかったようです。
この「狙いうち」も阿久悠・都倉俊一のコンビの作品で、「どうにもとまらない」でセクシー路線にイメージチェンジして大ブレークした、山本リンダの73年の代表曲になります。
山本リンダは「狙いうち」のヒットで、同年の第10回ゴールデンアロー賞グラフ賞、キャニオンレコードヒット賞を受賞し、大晦日には第24回NHK紅白歌合戦に3度目の出場を果しました。また現在でも春夏の甲子園のスタンドで熱く演奏される高校野球の応援歌の定番曲になっています。
この「森を駈ける恋人たち」は、千家和也+筒美京平による楽曲で、初期の麻丘めぐみのほとんどの楽曲は、この黄金コンビによってを詞・作曲されていました。
まだ純粋無垢というアイドル像がリアリティのあった時代に、この「森を駈ける恋人たち」や「女の子なんだもん」「アルプスの少女」など麻丘めぐみのヒット曲に胸キュンした少年は少なくはないはずです。
当初「神田川」は、73年7月20日発売のアルバム『かぐや姫さあど』の収録曲だったのですが、深夜放送でリクエストが殺到してシングル・カットされました。
最終的に160万枚を売上げるグループ最大のヒット曲となり、「神田川」は70年代の若者文化を象徴する作品として、かぐや姫の代表曲ということだけでなく、昭和の名曲のひとつとして数えられています。
2ndシングルの「青い果実」から始まった「青い性」路線(性典ソング)第2弾となった「禁じられた遊び」は、「あなたが望めば何でも捨てる♪」と歌い上げる山口百恵のビジュアルと歌う歌詞とのギャップがなんともアンバランスで印象的な1曲でした。
この「禁じられた遊び」の歌詞の内容も、際どいものでしたが、それまでのセクシー系の歌手と違い、山口百恵はこの時まだ14歳の純朴な少女。このギャップが山口百恵の人気を独特なものにしていったと言われています。
シングル「カリフォルニアの青い空」は、日本では1972年12月21日に発売され、オリコンチャート最高11位となり20万枚を売り上げた、アルバート・ハモンドの代表曲です。
この「カリフォルニアの青い空」のヒットで、シンガーソングライターとして日本でも人気のあったアルバート・ハモンド。当時、ラジオから流れてきたこの曲を聴いて、爽やかな西海岸の青い空を想像し、夢見た人は少なくないのではないでしょうか?
ちなみに、アメリカがベトナムから撤退を始めた頃のヒット曲になります。
キャロルは、リーダーである矢沢永吉が自ら作製した張り紙で募集をかけ、ジョニー大倉等とともに結成され、当時のフジテレビ系人気番組「リブ・ヤング」に出演したところをミッキー・カーチスの目に留まりメジャーデビュー。72年から74年までの短い期間でしたが、強いインパクトを残し、日本ロックシーンに絶大な影響を与えました。
この「ファンキー・モンキー・ベイビー」は、そんなキャロルの代表曲。1975年4月、日比谷野外音楽堂で行われた解散コンサートで惜しまれつつ解散し、その後矢沢永吉はソロとして日本を代表するロック・ミュージシャンに成長していきます。
この「色づく街」で南沙織は、同年の第24回NHK紅白歌合戦に3年連続3度目の出場を果たします。また、学業専念と、写真家の篠山紀信との結婚を機に芸能活動を引退していた南沙織が、91年の第42回NHK紅白歌合戦で復帰しますが、その時に歌唱したのがこの「色づく街」でした。
ちなみにこの「色づく街」は、80年代に三田寛子が、91年には水野美紀がカバーしてシングルを発売しています。
ブログに寄せられたコメントによってドラマの展開が変化するという今までに無かった試みが面白い!!
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