1975年のヒット曲 YoutubeでPV視聴ヒットパレード【無料音楽動画試聴BLOG】

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チューリップ(財津和夫)「サボテンの花」

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チューリップ(財津和夫)「サボテンの花」無料音楽動画
サボテンの花」は、ロックでもフォークでもない新しい音楽分野「ニューミュージック(Jポップスの草分け)」を開拓したバンドのひとつチューリップの名曲のひとつ。

サボテンの花」は、ビートルズに影響を受けたリーダー財津和夫を中心に結成されたチューリップの1975年リリースのヒット曲で、どちらかと言うと当時より1993年にフジテレビで放送されたドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌としての記憶に新しいのではないでしょうか?

ドラマ「ひとつ屋根の下」は、平均視聴率28.2%(最高37.8%)と、フジテレビ連続ドラマ史上最高の視聴率を記録。主題歌の財津和夫が歌う「サボテンの花」は、ドラマの人気とともにオリコン最高位7位とリバイバルヒットしました。

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イルカ「なごり雪」

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イルカ「なごり雪」無料音楽動画
イルカの最大のヒットであり代表曲ともなった「なごり雪」は、1975年11月5日にリリースされ55万枚近くのセールスをあげて、オリコンチャートでは最高4位になりました。

なごり雪」は、元かぐや姫の伊勢正三が1974年のかぐや姫のアルバム「三階建の詩(うた)」に収録された伊勢正三作詞・作曲の2曲のうちの1曲を、イルカの歌としてシングル発売。

イルカのカバーによる「なごり雪」は、女性が歌うフォークソングがまだそれほど多くなかった当時、その代表曲として以降扱われます。

かまやつひろし「我が良き友よ」

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かまやつひろし「我が良き友よ」無料音楽動画視聴
我が良き友よ」は、1975年2月5日に発売されたかまやつひろしのシングルで、オリコンチャート第1位に輝き70万枚のセールスを記録した、かまやつひろしも代表曲です。

かまやつひろしは、ザ・スパイダースのヴォーカル兼リズムギターを担当し、ザ・スパイダース解散後の70年代はフォーク歌手として活躍。吉田拓郎作の、この「我が良き友よ」や「シンシア」や、自作の「どうにかなるさ」が大ヒットしました。

この「我が良き友よ」で歌われる“下駄を鳴らして奴が来る。腰に手ぬぐいぶら下げて”という歌詞は、吉田拓郎のことを歌ったものと言われています。ちなみに、「我が良き友よ」は同年のオリコン年間シングル売上げ第9位に記録される大ヒットでした。

岩崎宏美「ロマンス」

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ロマンス」は、1975年7月25日に発売された岩崎宏美の2ndシングルで、オリコンチャート第1位に輝いて89万枚を売り上げた、岩崎宏美の代表曲です。

岩崎宏美は、同年4月25日に「二重唱(デュエット)」でデビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは”天まで響け岩崎宏美”でした。2ndシングルで出したこの「ロマンス」は、90万枚近い大ヒットとなり、岩崎宏美はこの年の新人賞を同期の細川たかしとともに総なめにしていきました。

また、この年の第26回NHK紅白歌合戦にも岩崎宏美は「ロマンス」で初出場。以後、88年の第39回NHK紅白歌合戦まで14回連続で出場します。ちなみにこの「ロマンス」は、同年のオリコン年間シングル売り上げ第6位に記録される大ヒットでした。

太田裕美「木綿のハンカチーフ」

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太田裕美「木綿のハンカチーフ」無料音楽動画視聴
木綿のハンカチーフ」は、1975年12月21日に発売された太田裕美4枚目のシングルで86万枚の売上げでオリコンチャート最高2位となった太田裕美の代表曲です。

この「木綿のハンカチーフ」は、同年発売された3枚目のアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされ、太田裕美をスター歌手の仲間入りにさせた出世作でもあります。

それまでのフォーク調の曲調が多かった太田裕美の楽曲が「木綿のハンカチーフ」のヒットにより、これ以降はポップス調へと変わり、当時は大学生などに絶大な人気を誇っていました。いわゆる「学園祭の女王」という称号を得たのも彼女が最初と言われています。

風「22才の別れ」

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22才の別れ」は、1975年2月5日にリリースされたのデビューシングルで、シングル売上げ70万枚、オリコンチャート第1位となった風の代表曲です。

は、元は「かぐや姫」の伊勢正三と「猫」の大久保一久が75年に結成したフォークデュオで、「22才の別れ」以降、「あの唄はもう唄わないのですか」「ささやかなこの人生」「海風」などリリースしますが、79年にその活動を休止します。

この「22才の別れ」は、そんなの最大のヒット曲で、元々はかぐや姫の74年のアルバム「三階建ての詩」に収録されてある伊勢正三が書いた2曲のうちの1曲です。

山口百恵「夏ひらく青春」

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夏ひらく青春」は、1975年6月10日に発売された山口百恵の9枚目のシングルで、オリコンチャート最高4位となって33万枚を売り上げた、山口百恵のヒット曲です。。

2ndシングルの「青い果実」から始まった、少女が性行為を連想させるような、ある意味際どい内容の歌詞を歌った「青い性」路線で、山口百恵は人気を獲得していきましたが、この「夏ひらく青春」も、そんな「青い性」路線時期の代表的な意味深な1曲です。

山口百恵は、この「夏ひらく青春」で同年の第26回NHK紅白歌合戦に2年連続2度目の出場を果たします。

中村雅俊「俺たちの旅」

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中村雅俊「俺たちの旅」無料音楽動画
俺たちの旅」は、1975年に放送された中村雅俊主演の日本テレビ系青春群像ドラマ「俺たちの旅」の主題歌で、1975年10月10日にシングル発売されて、87万枚の売上げでオリコンチャート最高2位となった中村雅俊のヒット曲です。

ドラマ「俺たちの旅」は、当時人気だった日テレ青春ドラマで、この中村雅俊主演の「俺たちの旅」から始まり、「俺たちの朝」「俺たちの祭」とシリーズ化され程の高い人気を誇っていました。

また、ドラマ「俺たちの旅」は、中村雅俊主演のドラマ作品の中でも最高傑作との評価もあり、ロケ地となった神奈川県鎌倉市、江ノ電の極楽寺駅近辺は今でも人気の観光スポットになっています。

甲斐バンド「裏切りの街角」

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裏切りの街角」は、1975年6月5日に発売された甲斐バンドの2ndシングルで、オリコンチャート最高7位で30万枚を売り上げた、甲斐バンドの代表曲です。

甲斐バンドの活動はこの当時からライブが中心で、楽曲もかなりライブを意識したものが多く、ヒットはしていないもの、「テレフォン・ノイローゼ」「氷のくちびる」「ポップコーンをほおばって」など、ライブで活きる楽曲は多数あります。

この「裏切りの街角」は、74年シングル「バス通り」でデビューした甲斐バンドにとって初めてとなるオリコンチャートトップ20入りしたヒット曲になります。しかし、甲斐バンドの名前が全国に知れ渡るには、「裏切りの街角」のヒットからおよそ3年、オリコンチャートのトップに輝く「HERO-ヒーローになるときそれは今」まで待たなければなりません。

中村雅俊「いつか街で会ったなら」

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中村雅俊「いつか街で会ったなら」無料音楽動画視聴
いつか街で会ったなら」は、1975年5月1日に発売の中村雅俊の3rdシングルで、オリコンチャート最高6位となって42万枚を売り上げた、中村雅俊の大ヒット曲です。

この「いつか街で会ったなら」は、松田優作と中村雅俊自身が出演した日本テレビ系ドラマ『俺たちの勲章』の挿入歌となって大ヒットしました。

いつか街で会ったなら」の作曲は、吉田拓郎によるもので作詞は「神田川」の喜多条忠の作品。ちなみに「いつか街で会ったなら」は、同年のオリコン年間シングル売上げ第16位に記録される大ヒットでした。

キャンディーズ「ハートのエースが出てこない」

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ハートのエースが出てこない」は、1975年12月5日に発売されたキャンディーズの11枚目のシングルで、オリコンチャート最高11位となって17万枚を売り上げた、キャンディーズのヒット曲です。

この「ハートのエースが出てこない」は、キャンディーズがブレークする「春一番」の前作にあたり、シングル「ハートのエースが出てこない」のジャケットは、アメリカンドールをあしらったセーターにジーンズ姿のものでした。

また「ハートのエースが出てこない」と言えば、キャンディーズ全盛期のライブを支え、後の「スペクトラム」の母体にあたるバックバンドのMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)のオリジナル曲「SUPER CANDIES」から「ハートのエースが出てこない」に繋げるメドレーは、キャンディーズのライブの名物になっていました。

荒井由実(松任谷由実)「卒業写真」

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荒井由実(松任谷由実)「卒業写真」無料音楽動画視聴
75年に荒井由実松任谷由実が楽曲提供して、ハイ・ファイ・セットが歌って大ヒットした「卒業写真」ですが、荒井由実松任谷由実も自身の3rdアルバム『COBALT HOUR (コバルト・アワー)』のA面2曲目でセルフカバーされていました。

この荒井由実松任谷由実の3rdアルバム『COBALT HOUR (コバルト・アワー)』は、1975年6月20日にリリースされオリコンアルバムチャートでは、最高2位となって46万枚のセールスを記録。オールドファンにとっては、こちらのセルフカバーの「卒業写真」のほうが馴染み深いかもしれません。

ちなみに、この「卒業写真」は卒業シーズンの定番曲になっていますが、実際には卒業した後のことを歌っている曲で、詞の中の柳とはアルファスタジオへの道(田町海側)の柳がモデルだったそうです。

山口百恵「冬の色」

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冬の色」は、1974年12月10日に発売された山口百恵の7枚目のシングルで、オリコンチャート第1位となって53万枚を売り上げた、山口百恵の大ヒット曲です。

この「冬の色」は、デビュー以来様々な形でセンセーショナルな話題を提供していた山口百恵初のチャート1位獲得曲。「あなたから許された口紅の色は♪」という歌詞の内容が、それまでの楽曲とは一味違った大人びた感じで、山口百恵の楽曲の中でも妙に印象に残った1曲でした。

ちなみにこの「冬の色」は、翌75年のオリコン年間シングル売上げ第10位に記録される大ヒットでした。

南沙織「人恋しくて」

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人恋しくて」は、1975年8月1日に発売された南沙織の16枚目のシングルで、オリコンチャート最高8位となって23万枚を売り上げた、南沙織の代表曲です。

歌に女性としての情感が溢れ出てきた、この頃の南沙織には実力派という言葉が付いてきて、それを裏付けるように、同年の日本レコード大賞では、この「人恋しくて」で歌唱賞を受賞します。

また、同年の大晦日には第26回NHK紅白歌合戦に5年連続5度目の出場を、この「人恋しくて」で果します。ちなみに、この「人恋しくて」は、オリコントップ10にチャートインした南沙織の最後のシングルとなりました。

オリビア・ニュートン・ジョン「そよ風の誘惑」

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オリビア・ニュートン・ジョン「そよ風の誘惑」無料音楽動画視聴
可愛らしいルックスとカントリー系の素朴な路線で着実に人気を集めていた、オリビア・ニュートン・ジョンの75年の大ヒット曲「そよ風の誘惑」です。

71年にボブ・ディランがジョージ・ハリスンに提供した曲のカバー「イフ・ノット・フォー・ユー(If Not For You)」がヒットしたのをきっかけにスターダムを駆け上ったオリビア・ニュートン・ジョンですが、74年のシングル「愛の告白(I Honestly Love You)」は全米1位を獲得し、75年に米国移住後に「そよ風の誘惑」を発表し大ヒット。「愛のデュエット」などともに「そよ風の誘惑」は、オリビア・ニュートン・ジョンの初期の代表曲になります。

また「そよ風の誘惑」は、当時放送されていた文化放送のラジオ番組「オール・ジャパン・ポップ20」では、75年の5月第2週から19週連続でトップ10入りし、5週で第1位を獲得。また同番組の75年の年間ランキングで第4位に記録されるヒットとなっています。

KC&サンシャイン・バンド「ザッツ・ザ・ウェイ」

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KC&サンシャイン・バンド「ザッツ・ザ・ウェイ」無料音楽動画視聴
分かりやすい歌詞とノリのいいリズムに明るい楽曲でマイアミ・サウンドと呼ばれたKC&サンシャイン・バンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」です。

KC&サンシャイン・バンドは、H.W.ケイシーとR.フィンチの白人コンビが中心となったディスコ・バンドで、この「ザッツ・ザ・ウェイ」と「ゲット・ダウン・トゥナイト」は、KC&サンシャイン・バンドの代表曲でもあります。

ちなみに、この「ザッツ・ザ・ウェイ」は、75年の全米第1位を記録する大ヒットとなり、日本では1975年11月25日にシングルがリリースされ、オリコンチャート20位で20万枚を売り上げるヒットとなりました。

クラフト「僕にまかせてください」

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僕にまかせてください」は、1975年4月10日に発売されたクラフトの3枚目のシングルで、オリコンチャート最高10位となって39万枚を売り上げた、クラフトの代表曲です。

この「僕にまかせてください」は、さだまさし作詞・作曲による作品で、日本テレビ系ドラマ『ほうずきの唄』の主題歌としてヒットしました。

また、グレープの75年11月に行われた中野サンプラザのリサイタルの模様を収録したベストアルバム『グレープ・ライブ 三年坂』に、グレープによるセルフカバーとして、この「僕にまかせてください」は収録されています。ちなみに、クラフトの「僕にまかせてください」は、同年のオリコン年間シングルチャート第21位に記録されるヒットでした。

ハイ・ファイ・セット「卒業写真」

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ニューミュージック全盛時に高い人気を誇ったハイ・ファイ・セットの1975年のヒット曲「卒業写真」です。

ハイ・ファイ・セットは、フォークグループ「赤い鳥」が路線上の違いから解散し、74年に「赤い鳥」のメンバーだった山本潤子(旧姓、新居潤子)・山本俊彦・大川茂の3人で結成したコーラスグループで、この「卒業写真」はハイ・ファイ・セットのデビュー・シングルになります。77年には、モーリス・アルバートのカバー曲「フィーリングス」が大ヒットしNHK紅白歌合戦にも出場。

またハイ・ファイ・セットは、この「卒業写真」や「冷たい雨」など、松任谷由実(荒井由実)のカバー曲を数多くヒットさせ、ユーミン人気を引き上げる役割を果たしました。

林寛子「素敵なラブリーボーイ」

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後に小泉今日子がカバーしてヒットした林寛子の1975年に発売した「素敵なラブリーボーイ」です。

林寛子は、73年にフジテレビ系「君こそスターだ!」の第1回グランドチャンピオンに輝き、翌74年に「ほほえみ」で歌手デビュー。この「素敵なラブリーボーイ」は、1975年9月に発売され林寛子の6枚目のシングルで代表曲となります。

この「素敵なラブリーボーイ」は、皮肉なことに、小泉今日子がカバーしたことで有名になりますが、林寛子が歌った当時もチャート上位には食い込めなかったものの、よくテレビでも歌唱していました。

ロッド・スチュワート「セイリング」

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ロック史上に残る偉大なボーカリストのロッド・スチュワートが、1975年に発表し、全英チャートで第1位となった「セイリング」です。

この「セイリング」は、90年代にスバル (富士重工業)・レガシィのCMソングとなっており、ロッド・スチュワートもCMに出演していました。なお、この「セイリング」は、お別れの歌で、どちらかというと永遠の別れの方の歌です。

その独特のしゃがれたハスキーボイスは一度聞いたら忘れられない魅力があり、ロッド・スチュワートがこれまでに発表したアルバム・シングル(レコード発売を含む)の総売り上げ枚数は実に1億枚を越えているそうです。
ちなみに、私はこの「セイリング」よりもロッド・スチュワートらしさが発揮されている「アイム・セクシー」なんかの方が好みです。どぉも、「セイリング」は重たくって・・・。

サンハウス「レモンティー」

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75年にアルバム『有頂天』でデビューした、サンハウスの「レモンティー」です。

サンハウスは、70年代から多くのミュージシャンやロックバンドを輩出し続けた"日本のリバプール"と呼ばれた博多にて、鮎川誠や柴山俊之らによって結成された伝説のロックバンド。

サンハウスは、この「レモンティー」や、「キング・スネーク・ブルース」といった日本のロック史に刻まれる名曲を生み出していますが、78年3月25日にサンハウスは解散。その後、鮎川誠は愛妻シーナとともにシーナ&ロケッツを結成しています。

キャンディーズ「その気にさせないで」

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キャンディーズ「その気にさせないで」無料音楽動画視聴
その気にさせないで」は、1975年9月1日に発売されたキャンディーズの7枚目のシングルで、オリコンチャート最高17位で10万枚を売り上げた、キャンディーズのヒット曲です。

この「その気にさせないで」では、「年下の男の子」「内気なあいつ」でお姉さん路線へ踏み出したキャンディーズが、もう一歩踏み込んで、ちょっとセクシーなキャンディーズを見せてくれました。

また、この「その気にさせないで」は、10代の頃キャンディーズのファンだったというB'zの松本孝弘が、TAK MATSUMOTO名義でリリースしたアルバム『THE HIT PARADE(ザ・ヒット・パレード)』でカバーしています。

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