1976年のヒット曲 YoutubeでPV視聴ヒットパレード【無料音楽動画試聴BLOG】

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太田裕美「木綿のハンカチーフ」

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太田裕美「木綿のハンカチーフ」無料音楽動画視聴
木綿のハンカチーフ」は、1975年12月21日に発売された太田裕美4枚目のシングルで86万枚の売上げでオリコンチャート最高2位となった太田裕美の代表曲です。

この「木綿のハンカチーフ」は、同年発売された3枚目のアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされ、太田裕美をスター歌手の仲間入りにさせた出世作でもあります。

それまでのフォーク調の曲調が多かった太田裕美の楽曲が「木綿のハンカチーフ」のヒットにより、これ以降はポップス調へと変わり、当時は大学生などに絶大な人気を誇っていました。いわゆる「学園祭の女王」という称号を得たのも彼女が最初と言われています。

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イーグルス「ニュー・キッド・イン・タウン」

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イーグルス「ニュー・キッド・イン・タウン」無料音楽動画視聴
イーグルスの代表作となったアルバム『ホテル・カリフォルニア』からシングルカットされて大ヒットした「ニュー・キッド・イン・タウン」です。

1976年にリリースされたイーグルスの大ヒット曲「ニュー・キッド・イン・タウン」は、かつての勢いを失いつつあったウェストコースト・ロックの凋落を皮肉るように、田舎町にやって来た新参者へ向けられた地元民の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく様を歌ったもので、ダリル・ホールのことを歌っていると言われています。

ちなみに、このアルバムからシングルカットされた「ニュー・キッド・イン・タウン」と「ホテル・カリフォルニア」は、全米ビルボードチャートで1位を獲得し、イーグルスの代表曲にあげられる1曲です。

岡田奈々「青春の坂道」

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岡田奈々「青春の坂道」無料音楽動画視聴
青春の坂道」は、1976年3月10日に発売された岡田奈々の4枚目のシングルで、オリコンチャート最高23位で11万枚を売り上げた、岡田奈々の代表曲です。

岡田奈々は、75年~80年までのグリコポッキーの初代CMガールとして活躍し、この「青春の坂道」などをヒットさせた70年代後半のトップアイドルでした。

また当時人気を博した日本テレビ系ドラマ『俺たちの旅』では、田中健が演じるオメダの妹役として好演し、岡田奈々は女優としても実績を積んでいきました。
なお、ご紹介の動画は、『俺たちの旅』の映像に「青春の坂道」がBGMとして流れるものです。

風「ささやかなこの人生」

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風「ささやかなこの人生」無料音楽動画視聴
ささやかなこの人生」は、1976年6月25日にリリースされたフォークデュオの3枚目のシングルで、21万枚を売り上げてオリコン最高位16位となった、のヒット曲です。

この「ささやかなこの人生」は、通常アルバムには収録されていないシングルだけの企画物。のアルバムではベスト盤にしか収録されていません。

後に伊勢正三自身が「ささやかなこの人生'94」としてカバーしており、この「ささやかなこの人生'94」は、テレビ朝日系ドラマ『嫁の出る幕』の挿入歌として使用されました。

中村雅俊「俺たちの旅」

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中村雅俊「俺たちの旅」無料音楽動画
俺たちの旅」は、1975年に放送された中村雅俊主演の日本テレビ系青春群像ドラマ「俺たちの旅」の主題歌で、1975年10月10日にシングル発売されて、87万枚の売上げでオリコンチャート最高2位となった中村雅俊のヒット曲です。

ドラマ「俺たちの旅」は、当時人気だった日テレ青春ドラマで、この中村雅俊主演の「俺たちの旅」から始まり、「俺たちの朝」「俺たちの祭」とシリーズ化され程の高い人気を誇っていました。

また、ドラマ「俺たちの旅」は、中村雅俊主演のドラマ作品の中でも最高傑作との評価もあり、ロケ地となった神奈川県鎌倉市、江ノ電の極楽寺駅近辺は今でも人気の観光スポットになっています。

アリス「遠くで汽笛を聞きながら」

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アリス「遠くで汽笛を聞きながら」無料音楽動画視聴
1976年9月20日に発売されたアリスの9枚目のシングル「遠くで汽笛を聞きながら」です。

この「遠くで汽笛を聞きながら」は、作詞は谷村新司、作曲は堀内孝雄の楽曲で、アリスを代表する作品のひとつですが、堀内孝雄によると一度はお蔵入りになった楽曲なんだそうです。

ちなみに当時の「遠くで汽笛を聞きながら」のオリコンチャートでは、最高51位で4万枚のセールスを記録。鳴かず飛ばずの下積み時代から、ようやく注目を浴びつつあったアリスの大ブレイク前の名曲になります。

キャンディーズ「夏が来た!」

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夏が来た!」は、1976年5月31日に発売されたキャンディーズの10枚目のシングルで、オリコンチャート最高5位となって18万枚を売り上げた、キャンディーズのヒット曲です。

大ブレークの「春一番」の勢いにのって発売したキャンディーズの新曲「夏が来た!」は、爽やかでポップなサマーソングで、「春一番」に続いてチャートトップ10入りするヒットとなりました。

なお、ご紹介の動画は、1976年8月のステージから「夏が来た!」と「年下の男の子」の2曲を収録したものになってます。

西城秀樹「若き獅子たち」

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西城秀樹「若き獅子たち」無料音楽動画視聴
若き獅子たち」は、1976年9月5日に発売された西城秀樹の18枚目のシングルで、オリコンチャート最高4位となって23万枚を売り上げた、西城秀樹のヒット曲です。

この「若き獅子たち」は、「若者」をテーマにした壮大なスケールの曲を高らかに唄い上げ、第18回日本レコード大賞で3度目の歌唱賞を受賞しました。

また西城秀樹は、同年大晦日の第27回NHK紅白歌合戦には、この「若き獅子たち」で3度目の出場を果します。さらにブロマイド売上げでも西城秀樹は、76年男性歌手部門で第1位となっています。

伊藤咲子「きみ可愛いね」

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伊藤咲子「きみ可愛いね」無料音楽動画視聴
きみ可愛いね」は、1976年3月5日に発売された伊藤咲子の7枚目のシングルで、オリコンチャート最高9位となって21万枚を売り上げた、伊藤咲子の代表曲です。

この「きみ可愛いね」のヒットで伊藤咲子は、同年暮れの第27回NHK紅白歌合戦に同曲で初出場を果します。

伊藤咲子自身は、『なんて簡単な曲で物足りない』と思ったそうで、『まさか「きみ可愛いね」で紅白に出るなんて…やっぱり皆さんが口ずさめる曲がヒットすると言う事を痛切に感じさせられた1曲です。』と語っています。

因幡晃「わかって下さい」

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因幡晃「わかって下さい」無料音楽動画視聴
わかって下さい」は、1976年2月5日に発売された因幡晃のデビューシングルで、オリコンチャート最高3位となって66万枚を売り上げた、因幡晃の代表曲です。

因幡晃は、75年の第10回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場し、この「わかって下さい」で最優秀曲賞を受賞。第6回世界歌謡祭にて入賞して、翌年「わかって下さい」でデビューしたシンガーソングライターです。

この「わかって下さい」は同年のオリコン年間シングルチャート第9位に記録される大ヒットでした。

ABBA「ダンシング・クイーン」

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ABBA「ダンシング・クイーン」無料音楽動画視聴
1976年に全米・全英のみならず全世界的に大ヒットしたABBAの「ダンシング・クイーン」です。

ABBAは、70年代半ばから80年代初頭にかけて世界的なヒット曲を連発して、「POP Musicの完成者」と呼ばれるほどの活躍をした、スウェーデンのミュージシャン男女4人グループで、この「ダンシング・クイーン」はABBAの代表曲になります。

日本では、この「ダンシング・クイーン」は、1977年4月25日にシングルがリリースされオリコンチャート最高19位となって35万枚を売上げました。ちなみに、当時の文化放送のラジオ番組「オール・ジャパン・ポップ20」の77年の年間ランキングで、「ダンシング・クイーン」は第7位に記録されています。

オリビア・ニュートン・ジョン「カントリー・ロード」

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オリビア・ニュートン・ジョン「カントリー・ロード」無料音楽動画視聴
ジョン・デンヴァーの代表曲である「TAKE ME HOME,COUNTRY ROADS」を、オリビア・ニュートン・ジョンがカバーした、1976年のヒット曲「カントリー・ロード」です。

この「カントリー・ロード」は、親しみやすい曲調と繊細で情感あふれる歌詞が特徴のジョン・デンヴァー最大のヒット曲。オリビア・ニュートン・ジョンにカバーの他、日本ではスタジオジブリの映画『耳をすませば』の主題歌として使用されてヒットしました。

このオリビア・ニュートン・ジョンがカバーした「カントリー・ロード」は、1976年10月20日に日本のみで発売されたシングルで、オリコンチャート最高6位になって45万枚を売り上げる大ヒットとなっています。

ちあきなおみ「矢切の渡し」

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ちあきなおみ「矢切の渡し」無料音楽動画視聴
83年に細川たかしがカバーして大ヒットした「矢切の渡し」ですが、実は1976年10月にちあきなおみがリリースしたシングル「酒場川」のB面に収録されたものがオリジナルの「矢切の渡し」になるのをご存知でしたか?

72年「喝采」で日本レコード大賞を受賞後も、ちあきなおみは73年に「夜間飛行」74年に「円舞曲」などのポップス系ヒット曲を発表する一方、前座歌手時代にレッスンを受けていた演歌の歌唱法を活かして、75年に「さだめ川」76年に「酒場川」、そしてこの「矢切の渡し」などの演歌系作品も歌っていました。

矢切の渡し」は、82年から83年には競作ブームにもなり、82年10月にはオリジナルのちあきなおみバージョンも再リリースされました。ちなみに細川たかしのカバーした「矢切の渡し」は、83年の第25回日本レコード大賞で見事対象を受賞しています。

西城秀樹「ジャガー」

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西城秀樹「ジャガー」無料音楽動画視聴
ジャガー」は、1976年6月5日に発売された西城秀樹の17枚目のシングルで、オリコンチャート最高3位となって24万枚を売り上げた、西城秀樹のヒット曲です。

西城秀樹はこの「ジャガー」で、第5回東京音楽祭ゴールデン・カナリー賞(国内大会グランプリ)を受賞し、世界大会でもチェリー・ブロッサム賞を受賞。

ヘヴィメタル風の楽曲の「ジャガー」を、西城秀樹は藤丸バンドをバックに従えてダイナミックに絶唱し、その独特のコスチュームやセリフが印象に残る一曲でした。

松本ちえこ「恋人試験」

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恋人試験」は、1976年5月25日に発売された松本ちえこの3rdシングルで、オリコンチャート最高5位となって28万枚を売り上げた、松本ちえこの代表曲です。

この「恋人試験」は、資生堂の「バスボンシャンプー」のCMのタイアップ曲に使用されて大ヒット。当時は、松本ちえこと言えば「バスボン」と言うくらいのブームになっていました。

また、松本ちえこのファンだった友人は、無意味にも「恋人試験宣言っ!」などと言って、真剣にテストで65点を採ることに挑戦していました(笑)。

ホット・ブラッド「ソウル・ドラキュラ」

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1976年の日本で、奇怪ディスコブームの火付け役となったホット・ブラッドの「ソウル・ドラキュラ」です。

ホット・ブラッドは、フランスのスタジオミュージシャンが集まって結成されたディスコ・ミュージック・グループで、「ソウル・ドラキュラ」の大ヒットの後も、同路線の「怪傑!ソウル・キャット」や「ベイビー・フランケンシュタイン」などをホット・ブラッドはリリースしましたが、大きなヒットとはなっていません。

ちなみに、この「ソウル・ドラキュラ」は、1976年5月25日に発売され、オリコンチャート最高7位となって42万枚を売り上げる大ヒット。同年のオリコン年間シングルチャートでも19位に記録されるヒットとなりました。

小椋佳「揺れるまなざし」

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揺れるまなざし」は、1976年7月21日に発売された小椋佳のシングルで、オリコンチャート最高5位となって41万枚を売り上げた、小椋佳の代表曲です。

この「揺れるまなざし」は、76年資生堂秋のテーマ『ゆれる、まなざし』のCMソングとして使用され大ヒットしました。ちなみ、モデルには真行寺君枝が起用され、このCMのヒットでこの後女優に転向しました。

また、この「揺れるまなざし」も収録された、同年11月リリースの小椋佳初のライブアルバム『遠ざかる風景』は、3作連続でオリコンアルバムチャート第1位を獲得する大ヒットになっています。

ミラクルズ「ラヴ・マシーン」

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ミラクルズ「ラヴ・マシーン」無料音楽動画視聴
1976年にディスコ・ブームにのって、全米No1となったミラクルズの「ラヴ・マシーン」です。

ミラクルズと言えば、オールドファンならスモーキー・ロビンソンの名を答えられる方が多いはず。しかし、ロビンソン脱退後にもグループは存在し、76年の「ラヴ・マシーン」は全米No1になるほどの大ヒットを記録しました。

この「ラヴ・マシーン」は、ロビンソンの後釜にビリー・グリフィンをリード・シンガーに迎え、コーラスを重視したスタイルになったミラクルズの代表曲でもあり、70年代後半の日本のディスコでも人気のナンバーとなっていました。

荒井由実(松任谷由実)「中央フリーウェイ」

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荒井由実(松任谷由実)「中央フリーウェイ」無料音楽動画視聴
松任谷由実の独身時代(当時:荒井由実)の最後のオリジナルアルバム『14番目の月』の中から松任谷由実荒井由実の代表曲ともなった「中央フリーウェイ」です。

この「中央フリーウェイ」は、シングルとしては発売されておらず、このアルバム『14番目の月』に収録された楽曲で、タイトルの「中央フリーウェイ」とは中央自動車道のこと。在日米軍の調布基地(1974年に全面返還)、サントリーのビール工場、東京競馬場など東京都府中市近辺の施設が歌詞に出ており、現在では東京の府中市や調布市のご当地ソングとしても有名です。

この「中央フリーウェイ」が収録されたアルバム『14番目の月』は、1976年11月20日にリリースされ、オリコンアルバムチャート1位となり34万枚を売り上げて同年のオリコン年間アルバム売り上げ第4位に記録される大ヒットとなりました。ちなみに、松任谷由実荒井由実は、自伝「ルージュの伝言」でこのアルバムで歌手を引退するつもりだったと語っています。

イーグルス「ホテル・カリフォルニア」

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イーグルスの70年代のアメリカンロックを代表する曲のひとつとなった「ホテル・カリフォルニア(Hotel California)」で、日本では1977年4月25日に発売されオリコンチャート最高15位で33万枚を売り上げています。

イーグルスは、デビューアルバム『イーグルス・ファースト(邦題)』のタイトル曲となった軽快なナンバー「Take It Easy」がいきなりヒットし、瞬く間に70年代に一世を風靡したウエストコーストのサウンドで、アメリカンロックを代表するロックグループの仲間入りをします。この「ホテル・カリフォルニア」は、76年発売の同名アルバム『ホテル・カリフォルニア』からのシングルカット曲で、どうアルバムは同年のにおけるグラミー賞最優秀レコードを受賞しています。

このアルバム『ホテル・カリフォルニア』のジャケットに写っている建物は、ホテル・カリフォルニアという名前のものではなく、サンセット通りにある愛称「ピンク・パレス」という高級ホテル「ビバリーヒルズホテル」です。このアルバム・ジャケットに利用されて以降、ひとつの観光スポットにもなり、のちにジュリア・ロバーツ主演の映画「プリティ・ウーマン」の舞台にもなりました。

桜田淳子「夏にご用心」

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桜田淳子「夏にご用心」無料音楽動画視聴
夏にご用心」は、1976年5月25日に発売された桜田淳子の15枚目のシングルで、オリコンチャート最高第2位となり36万枚を売り上げた、桜田淳子の代表曲です。

この「夏にご用心」で桜田淳子は、同年の日本歌謡大賞放送音楽賞受賞し、大晦日の第27回NHK紅白歌合戦には3度目の出場を果たします。

また、同年に発売された桜田淳子のシングル中、「夏にご用心」は最大のヒット曲となっています。ちなみに、オリコン年間シングルチャートでは第22位に記録されています。

太田裕美「赤いハイヒール」

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太田裕美「赤いハイヒール」無料音楽動画視聴
赤いハイヒール」は、1976年6月1日に発売された太田裕美の5枚目のシングルで、オリコンチャート最高2位となり49万枚を売り上げた、太田裕美の代表曲です。

太田裕美の人気絶頂時のヒット曲となる「赤いハイヒール」ですが、前作「木綿のハンカチーフ」の大ヒットの勢いのままチャートを一気に駆け上り大ヒットとなりました。

この「赤いハイヒール」も、前作「木綿のハンカチーフ」と同位置のチャート2位。どちらも1位になっても不思議ではないほどの売れ行きでしたが、「木綿のハンカチーフ」では歴代シングルNo.1の子門真人の「およげ!たいやきくん」に、「赤いハイヒール」では、ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」に阻まれ、結果的に太田裕美はチャート1位を獲得できないまま現在に至っています

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