1984年のヒット曲 YoutubeでPV視聴ヒットパレード【無料音楽動画試聴BLOG】

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大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」

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大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」無料音楽動画視聴
そして僕は途方に暮れる」は、1984年9月21日に発売された大沢誉志幸の5枚目のシングルで、オリコンチャート最高6位となって28万枚を売り上げた、大沢誉志幸の代表曲です。

大沢誉志幸は、80年代に数多くのアーティストに楽曲を提供し、多くのヒット曲を輩出したヒットメイカーで、83年に「彼女には判らない」でソロデビューし、張り付くようなロックサウンドと都会的なスローナンバーを、その印象的な声で歌い上げ、この「そして僕は途方に暮れる」が大ヒットして人気となりました。

この「そして僕は途方に暮れる」は、日清食品のカップヌードルのCMに使用され、当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』では、第364回が放送された85年2月7日に第9位でベストテン入りすると、最高2位となって6週連続でベストテン入りをしました。

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Band Aid(バンド・エイド)「Do They Know It's Christmas?」

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Band Aid(バンド・エイド)「Do They Know It's Christmas?」無料音楽動画視聴
イギリスとアイルランドのロック/ポップス界のスーパースターが集まって結成されたチャリティー・プロジェクトバンド・エイドBand Aidの1984年12月3日にリリースの楽曲「Do They Know It's Christmas?(ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス)」です。

この「Do They Know It's Christmas?」は、エチオピアで起こった飢餓を受け、発起人のボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロにより書かれた楽曲で、これに触発される形でアメリカではUSAフォー・アフリカが結成され、ライヴエイドなどへとつながる一連の大チャリティー・ブームを巻き起こすきっかけとなりました。

ちなみに、このバンド・エイドBand Aidに参加したアーティストは、ポール・ヤング、ボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブ)、ジョージ・マイケル(ワム)、スティング、ボーノ(U2)、フィル・コリンズ、デュラン・デュラン・・・等などのイギリスのトップスター達でした。またバンド・エイドBand Aidは、89年にはバンド・エイドII、04年にはバンド・エイド20となって「Do They Know It's Christmas?」がリメイクされ、顔ぶれは変われど同プロジェクトは引き継がれています。

吉川晃司「モニカ」

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吉川晃司「モニカ」無料音楽動画視聴
モニカ」は、1984年2月1日にリリースされた吉川晃司のデビューシングルで、34万枚の売上げでオリコンチャート最高4位となった、ミュージシャン吉川晃司の代表曲です。

この「モニカ」は、同年暮れには第26回日本レコード大賞新人賞、日本歌謡大賞最優秀新人賞などを受賞し、この痛快8ビート・ロッケンロール・ナンバーで一気にスター街道を駆け上っていきました。

吉川晃司は、沢田研二に続くヴィジュアル系の走りとも言われており、男性の化粧や髪の毛を立たせる新しい髪型を考案するなど、男性ファッションリーダーとしての功績は計り知れないものがあります。また、デビュー時の衣装であったノータイ&白スーツは、街のあちらこちらに“偽吉川”を溢れさせることになります。

高橋真梨子「桃色吐息」

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桃色吐息」は、1984年5月21日に発売された高橋真梨子の9枚目のシングルで、オリコンチャート最高4位で37万枚を売り上げた、高橋真梨子の代表曲です。

高橋真梨子は、72年にペドロ&カプリシャスに2代目ボーカルとなり「ジョニィへの伝言」が大ヒット。78年にペドロ&カプリシャス脱退後、ソロ歌手として「あなたの空を翔びたい」でソロデビューし、この「桃色吐息」や「はがゆい唇」等をヒットさせ実力派ヴォーカリストとしてその地位を確立させました。

この「桃色吐息」は、三貴カメリアダイヤモンドのCMソングに使用されて大ヒットちなみに、NHK紅白歌合戦への出演には、「大晦日にスケジュールを拘束されたくない」という理由で辞退したそうです。

アルフィー「星空のディスタンス」

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アルフィー「星空のディスタンス」無料音楽動画視聴
星空のディスタンス」は、1984年1月21日にリリースされたアルフィーの18枚目のシングルで、52万枚を売り上げてオリコンチャート最高2位となった、アルフィーの代表曲です。

前作の「メリーアン」でブレークしたアルフィーは、その勢いのままこの「星空のディスタンス」もヒットさせ、ヒットチャート番組の常連にまで駆け上ります。

また「星空のディスタンス」は、TBS系ドラマ「無邪気な関係」の主題歌として使用され、同年のオリコン年間シングル売上げ第11位にされるヒットとなりました。

Wham!(ワム)「ラスト クリスマス(Last Christmas)」

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クリスマスソングの定番中の定番、Wham!ワムの「ラスト クリスマスLast Christmas」です。

この「ラスト クリスマスLast Christmas」は、1984年にリリースされ、全英チャートでは2位を獲得。日本では1984年12月15日に発売されて、オリコンチャート最高12位で44万枚のセールスを記録。04年には織田裕二主演のフジテレビ系ドラマ『ラスト クリスマス』では、織田裕二 with ブッチ・ウォーカーがWham!ワムの「ラスト クリスマスLast Christmas」をカバーして主題歌となっていました。

ちなみに日本における代表的なクリスマスソングの定番と言えば、Wham!ワムの「ラスト クリスマスLast Christmas」と、山下達郎の「クリスマス イヴ」。どちらも素晴らしい楽曲ですが、ともに失恋の歌というのが興味深い。
山下達郎「クリスマス イヴ」のPV視聴はコチラ!

サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」

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サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」無料音楽動画視聴
ミス・ブランニュー・デイ」は、1984年6月25日にリリースされたサザンオールスターズの20枚目のシングルで、オリコンチャート最高6位となって30万枚を売り上げた、サザンオールスターズのヒット曲です。

この「ミス・ブランニュー・デイ」のタイトルは、『日々新しいブランド・流行を追い求める女性』と言った意味で、流行に流されやすい当時の女子大生の姿を風刺したものですが、こうした風潮への批判を意図したものではなく、「このような部分を持つ現代の女を愛してしまう、ちょっと甘い男のラプソディー」と桑田佳祐は語っています。

なお、この「ミス・ブランニュー・デイ」のPVは、内容が過激な為に長年お蔵入りされていた、言わずと知れたサザンオールスターズの放送禁止の曲。まぁ、サザンオールスターズらしいと言えば、それまでなんですが・・・。個人的には好きな作品でした。

欧陽菲菲「ラヴ・イズ・オーヴァー」

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欧陽菲菲「ラヴ・イズ・オーヴァー」無料音楽動画視聴
ラヴ・イズ・オーヴァー(Love is Over)」は、1982年9月1日に発売された欧陽菲菲のシングルで、オリコンチャート第1位に輝き52万枚を売り上げた、欧陽菲菲の代表曲です。

欧陽菲菲にとって71年発売の「雨の御堂筋」以来のオリコン1位となる「ラヴ・イズ・オーヴァー(Love is Over)」ですが、オリコン1位を記録したのは83年の12月で2週連続で1位をキープ、翌84年にはオリコン年間シングル売り上げ第18位というロングヒットになりました。

その後、91年の第42回NHK紅白歌合戦では、この「ラヴ・イズ・オーヴァー(Love is Over)」で、実に18年ぶり3度目の出場を欧陽菲菲は果たします。

中森明菜「サザン・ウインド」

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中森明菜「サザン・ウインド」無料音楽動画視聴
サザン・ウインド」は、1984年4月11日にリリースされた中森明菜の8枚目のシングルで、オリコンチャート初登場第1位となって54万枚を売り上げた、中森明菜の大ヒット曲です。

この「サザン・ウインド」は、中森明菜のシングル曲の中では比較的珍しい、明るめで軽快な夏を先駆けた楽曲で、来生えつこ作詞、玉置浩二作曲の作品。

当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』では、第324回が放送された84年4月26日に第8位でベストテン入りすると、第327回が放送された5月17日に第1位となって2週連続で1位をキープし、10週連続でベストテン入りをしています。なお、この「サザン・ウインド」は、同年のオリコン年間シングル売上げ第10位に記録される大ヒット曲でした。

尾崎豊「十七歳の地図」

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尾崎豊「十七歳の地図」無料音楽動画視聴
十七歳の地図」は、1984年3月21日にリリースされた尾崎豊の2ndシングルで、83年12月1日に発売されたデビューシングル「15の夜」が収められたデビューアルバム『十七歳の地図』のタイトルナンバーであり、同アルバムからのシングルカットとなった尾崎豊の代表曲です。

この「十七歳の地図」は、アップテンポなロック・チューンな楽曲で、尾崎豊はほとんどのライブで、この曲を演奏しており、彼のライブでは定番の曲です。

このアルバム『十七歳の地図』には、尾崎豊の代表曲といえる曲が数多く収められており、後に尾崎豊自身も「ファースト・アルバムを超える作品が作れない」と発言していることでも、それを裏付けられ、その完成度は驚異的とも言えます。ちなみに、発売からミリオン達成まで10年3ヵ月と21日かかっており、日本一時間が掛かったアルバムでもあります。

中森明菜「北ウイング」

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中森明菜「北ウイング」無料音楽動画視聴
北ウイング」は、1984年1月1日にリリースされた中森明菜の7枚目のシングルで、オリコンチャート第1位となって61万枚を売り上げた、中森明菜の大ヒット曲です。

題名の「北ウイング」は、成田国際空港の第1ターミナルの北部分の呼び名で、中森明菜は、松任谷由実の「中央フリーウェイ」のような施設を題材の一つとしている歌を歌いたかったと語っていました。

当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』では、第310回が放送された84年1月19日にベストテン初登場第1位で「北ウイング」はベストテン入りすると、5週連続で1位をキープし、10週連続でベストテン入りをしています。ちなみに、この「北ウイング」は、同年の日本レコード大賞金賞に輝き、同年のオリコン年間シングル売上げ第9位に記録される大ヒット曲でした。

アン・ルイス「六本木心中」

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六本木心中」は、1984年10月5日にリリースされたアン・ルイスのヒット曲で、30万枚の売上げでオリコンチャート最高12位となり、女性ロックシンガーとしてのアン・ルイスの代表曲です。

この頃のアン・ルイスは、デビュー当時の作られたアイドルのイメージはなく、幼い頃よりレッド・ツェッペリンやクリームなどを、聴きあさっていたという彼女の本領が発揮されたヘビーな歌謡ロックで、テレビの歌番組では、その過激なポーズや衣装が話題になりました。

日本ミュージック・シーンにおいても、アン・ルイスほどの活躍をした女性ロック・シンガーは、それまで存在せず、女性ロックシンガーの草分け的な存在として、その功績はあまりにも大きいと言えます。ちなみに、02年には相川七瀬がこの「六本木心中」をカバー。07年には、デーモン小暮閣下がリリースした、80年代~90年代の女性ロックシンガーの楽曲のカバーばかりを集めたアルバム「GIRLS' ROCK(ガールズ・ロック)」の最初の曲が、この「六本木心中」になっています。

松田聖子「瞳はダイアモンド」

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松田聖子の1983年10月28日に発売された15枚目のシングル『瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ』から、リードトラックの「瞳はダイアモンド」です。

このシングル『瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ』は、オリコンチャート初登場第1位となって57万枚のセールスを記録する松田聖子のヒットシングルで、TBS系『ザ・ベストテン』では番組史上初となる、前作の「SWEET MEMORIES」と「瞳はダイアモンド」が2曲同時初登場を記録しました。

ちなみに同番組では、第301回が放送された83年11月17日に第2位でベストテン入りすると、翌週には第1位を獲得して8週に亘って第1位をキープ。「瞳はダイアモンド」は、12週連続でベストテン入りしています。

石川優子とチャゲ「ふたりの愛ランド」

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石川優子とチャゲ「ふたりの愛ランド」無料音楽動画視聴
ふたりの愛ランド」は、1984年4月21日にリリースされた石川優子チャゲのシングルで、オリコンチャート最高3位となり44万枚を売り上げた石川優子チャゲの二人によるヒット曲です。

この「ふたりの愛ランド」は、シンガーソングライターの石川優子と、チャゲ&飛鳥(現:CHAGE and ASKA)のチャゲにより、「石川優子チャゲ」というアーティスト名で、同年のJALの沖縄キャンペーンソングに使用されたこともあり、84年の夏最大のヒットとなりました。

また、「ふたりの愛ランド」は、夏のデュエットソングとしてカラオケで人気の曲です。ちなみに、石川優子は81年発売の「シンデレラ・サマー」でも、JAL沖縄キャンペーンソングを歌って大ヒットさせてます。

小泉今日子「艶姿ナミダ娘」

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艶姿ナミダ娘」は、1983年11月1日に発売された小泉今日子の7枚目のシングルで、オリコンチャート最高3位となって35万枚を売り上げた、小泉今日子のヒット曲です。

この「艶姿ナミダ娘」で、当時17歳の小泉今日子は大きくブレークし、チャート上位に食い込み、「渚のはいから人魚」「ヤマトナデシコ七変化」と並ぶ、アイドル時代の小泉今日子を代表する作品になります。

当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』では、第301回が放送された83年11月17日に「艶姿ナミダ娘」は第10位でベストテン入りすると、最高2位となって11週連続でベストテン入りをしています。

チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」

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ギザギザハートの子守唄」は、1983年9月21日に発売されたチェッカーズのデビューシングルで、40万枚を売り上げオリコンチャート最高8位となった、チェッカーズのヒット曲です。

この「ギザギザハートの子守唄」は、翌年の84年に発売された「涙のリクエスト」が大ヒットし、それにつられるように売上げを伸ばすロングヒットとなりました。

不良少年の気持ちを"ギザギザハ-ト"と表現した歌詞と、オ-ルディ-ズに影響を受けたフミヤの甘く切ないボ-カルが見事にマッチして、この年から始まるチェッカーズブームの先駆けとなる1曲です。

中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」

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飾りじゃないのよ涙は」は、1984年11月14に発売された中森明菜の10枚目のシングルで、オリコンチャート初登場第1位となって63万枚を売り上げた、中森明菜の代表曲です。

飾りじゃないのよ涙は」は、井上陽水による提供曲で井上陽水本人もセルフカバーして、中森明菜・井上陽水共に代表作となっている名曲です。

ちなみに当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』では、第355回が放送された84年11月29日に「飾りじゃないのよ涙は」はベストテン初登場で第7位になると翌々週には1位となって、10週連続でベストテン入りをしています。また、この「飾りじゃないのよ涙は」は、同年のオリコン年間シングル売上げ第6位に記録される大ヒット曲でした。

吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」

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俺ら東京さ行ぐだ」は、1984年11月25日に発売された吉幾三のシングルで、35万枚を売上げオリコンチャート最高4位となった、吉幾三の代表曲です。

吉幾三は、77年「俺はぜったい!プレスリー」が大ヒット。しかしその後はヒット曲に恵まれず、84年に背水の陣で挑んだ、この「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒットして、再び脚光を浴びます。

現在では演歌歌手という括りになる吉幾三ですが、当時のオリコンでは、この「俺ら東京さ行ぐだ」は、演歌チャートではなく、「フォーク、ニューミュージック」チャートでのランクインでした。ちなみに、この歌の歌詞は吉幾三の出身地の言葉である津軽弁であると勘違いしている人も多いと思いますが、実は全く津軽弁になっていないそうです。

中森明菜「十戒(1984)」

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十戒(1984)」は、1984年7月25日にリリースされた中森明菜の9枚目のシングルで、オリコンチャート初登場第1位となって61万枚を売り上げた、中森明菜の大ヒット曲です。

この「十戒(1984)」は、それまでの中森明菜のいわゆるツッパリソングと呼ばれる作品の最後のシングルとなり、大晦日の第35回NHK紅白歌合戦には、この「十戒(1984)」で中森明菜は2度目の出場を果します。

ちなみに当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』では、第340回が放送された84年8月16日に「十戒(1984)」はベストテン初登場で第1位になると、5週連続で1位をキープし、12週連続でベストテン入りをしています。また、この「十戒(1984)」は、同年のオリコン年間シングル売上げ第6位に記録される大ヒット曲でした。

村下孝蔵「少女」

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村下孝蔵が1984年4月1日にリリースした7枚目のシングル曲「少女」です。

この「少女」は、中森明菜が歌うイメージで作ったメロディで、この「少女」には村下孝蔵の数少ないPVが存在していました。

余談になりますが、村下孝蔵は91年には「アキナ」という中森明菜を唱ったシングルを発表しており、当時最も困難な時期にあった中森明菜を励まそうとして、彼女を元気づけるために名前を使ってエールを送りたかった歌だそうです。

吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ(LA VIE EN ROSE)」

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ラ・ヴィアンローズ(LA VIE EN ROSE)」は、、1984年9月10日に発売された吉川晃司の3rdシングルで、オリコンチャート最高4位となって20万枚を売り上げた、吉川晃司のヒット曲です。

吉川晃司は、同年10月5日に同曲がタイトルナンバーとなった2ndアルバム「ラ・ヴィアンローズ(LA VIE EN ROSE)」をリリースし、オリコンアルバムチャートで第1位を獲得。前作のアイドルソング的な内容から、若干アーティスティックな内容になっていました。

当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』では、第346回が放送された84年9月27日に第6位で「ラ・ヴィアンローズ(LA VIE EN ROSE)」はベストテン入りし、最高4位となって6週連続でベストテン入りしました。

小泉今日子「渚のはいから人魚」

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渚のはいから人魚」は、1984年3月21日に発売された小泉今日子9枚目のシングルで、33万枚を売り上げオリコンチャート第1位に輝いた、小泉今日子のヒット曲です。

前年の83年から人気に火がついた小泉今日子は、この「渚のはいから人魚」に始まり、85年11月発売の「なんてったってアイドル」まで、その間発売された全てのシングルでオリコンチャート第1位を記録します。

小泉今日子は、この「渚のはいから人魚」の大ヒットで、同年暮れの第35回NHK紅白歌合戦に初出場しました。ちなみに曲名になっている”はいから”とは、明治時代に誕生した言葉で、「西洋風の身なりや生活様式をする様を示す言葉」で、現在ではもうほとんど死語と言える言葉ですが、84年当時完璧に死語でした。

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