この曲がヒットした当時は、海外旅行がようやく身近なものになり、庄野真代の「飛んでイスタンブール」だけでなく、畑中葉子の「カナダからの手紙」や、久保田早紀の「異邦人」など、海外旅情を綴った歌詞の曲がよく流行っていました。
「飛んでイスタンブール」は、失恋した女性のセンチメンタル・ジャーニーについて歌った歌なのですが、当時は日本からイスタンブールへの直行便はなく、庄野真代が歌うように「飛んでイスタンブール♪」というわけには、なかなかいかなかったようです。尚、現在は日本−トルコ間にトルコ航空便が就航しています。
ビーチ・ボーイズは、1961年に結成されたアメリカのロックンロールバンドで、日本でも山下達郎を筆頭に多くのプロのミュージシャンや音楽関係者の一部に熱狂的なファンを持っています。
この「サーフィンUSA(Surfin' USA)」は、シングルチャート最高位で2位、同アルバムはアルバムチャートトップ10入りし、ゴールド・アルバムを獲得するなど、アメリカにおけるビーチ・ボーイズの最初の大ヒット曲となります。
「アヴェ・マリア」は、1825年に作曲されたシューベルトの晩年の歌曲の一つです。余談ながら、白血病で亡くなった歌手の本田美奈子が初めてクラシック音楽に挑戦し、2003年にリリースしたアルバム「アヴェ・マリア」のタイトル曲を訃報を報道するメディアが挙ってBGMとして流していた事でも記憶に新しいと思います。
ちなみに、訃報の報道による効果もあってか本田美奈子の「アヴェ・マリア」はセールスを上げて、オリコンアルバム売上ランキングで22位まで上昇しました。尚、この「アヴェ・マリア」の映像は、近年アメリカで活躍が著しいソプラノ歌手のルネ・フレミングによるもです。
松任谷由実(荒井由美)の2枚目のアルバム「MISSLIM」には、アルバムバージョンとしてアレンジの異なる「やさしさに包まれたなら」が収録されてます。また、CMバージョンはシングルともアルバムともアレンジも異なり、一部歌詞も異なってます。
1989年7月29日公開の映画「魔女の宅急便」では、松任谷由実(荒井由美)の「やさしさに包まれたなら」がEDテーマとして採用されました。この他、2001年12月には「MoMAニューヨーク近代美術館」CM、2003年12月には「MEGMILK」CM、2005年3月にはJR東日本の「Suicaキャンペーン」CMと、世代を超えて親しまれている名曲です。
JAYWALK(
尚、「何も言えなくて…夏」は、翌年の第25回日本有線大賞で優秀賞、第34回レコード大賞ではゴールドディスク賞をそれぞれ受賞、1993年第44回NHK紅白歌合戦には同曲で初出場しました。
美空ひばりは、1963年から10年連続で紅白歌合戦の紅組トリを務めていますが、同年の第17回紅白歌合戦では、この「悲しい酒」で出場しました。
この「悲しい酒」は、もともと美空ひばりの為に書かれた曲ではなく、当初せりふが入っていませんでした。美空ひばりのレコーディングに際し、作曲の古賀政男のアドバイスにより、急遽一晩でセリフを書き足したという事です。
それまでの優美でフォーク調のシンプルな楽曲だったサイモン&ガーファンクルで築き上げたスタイルを崩して、「母と子の絆」で始まるアルバム「ポール・サイモン」は、レゲエやスカなど全く新しいジャンルの曲目が占められるようになり、大多数のファンの度肝を抜きました。
ちなみに、こちらの「母と子の絆」の動画は、全米で大ヒットの海外ドラマ『ギルモア・ガールズ』の映像を使用したバージョンになってます。ドラマ『ギルモア・ガールズ』は、32歳のシングルマザーであるローレライ・ギルモアと16歳の高校生である娘ローリー・ギルモアのストーリー。そう、まさに「母と子の絆」な訳です。
リチャード・クレイダーマンは、1976年にこの「渚のアデリーヌ(原題:アデリーヌのバラード)」でレコードデビュー。母国フランスでは、それほど注目されませんでしたが、ドイツ、スペイン等の周辺国でヒットし、逆輸入の形でフランスでも人気となります。
日本へは1978年にレコード紹介と同時に「渚のアデリーヌ」は、評判になりリチャード・クレイダーマンを一躍人気ピアノ・スターにしてしまったメロディーです。
相川七瀬の「夢見る少女じゃいられない」は、1995年11月8日発売でオリコン初登場92位でしたが、「SUPER NOVA RACING」のCMソングやフジテレビ系「Vの炎」エンディング・テーマとして話題になり、オリコン最高位12位、累計セールス36万枚のヒットになってます。
尚、1996年にリリースした1stアルバム「Red」は、現在までに270万枚を超すミリオンヒットを記録し、同年年末の第47回紅白歌合戦にも相川七瀬は「夢見る少女じゃいられない」で初出場しました。
「春夏秋冬」は、入試を控えていた当時の私が、あまり実の無い受験勉強を繰り返していた折に、「季節の無い町に生まれ・・・♪」で始まるのフレーズをついつい口ずさんでいた事を思い出す1曲です。
余談ですが、デビュー10周年目の福山雅治のマキシ・シングル「桜坂」では、この「春夏秋冬」を、デビューのきっかけのオーディションで歌い、まさに "原点 "の1曲としてカヴァーされてます。
当初「川の流れのように」は、アルバムの中の一曲として収録予定だったものの、レコーディングした美空ひばり本人の希望によりシングルカット。人生の旅路を振り返りながら、穏やかな川の流れのように、自分自身を自然と一体化させるような、豊かな広がりを持った名曲です。
しかも、「川の流れのように」の内容が、まるで遺作となることが分っていたかのような楽曲としてもしばしば語られ、美空ひばりが歌った数々の名曲の中でも、幅広い年代層に親しまれている作品と言えます。
元々「恋は水色(Love is blue)」は、アンドレ・ポップ作曲のヴィッキーが歌った曲なのですが、ビートの効いたアップテンポの曲であった為かそれほど注目されず、ポール・モーリアが1968年にイージーリスニング調に編曲しなおしてアメリカでの大ヒット。
世界的なヒット(約500万枚)になった「恋は水色(Love is blue)」は、イージーリスニングの曲が全米チャート第1位(連続5週トップ)を記録して、当時衝撃を受けた方も多いはず。一躍世界へポール・モーリアの名を馳せた出世作となりました。
その後、この「スタンド・バイ・ミー(Stand by Me)」は、スタンダードナンバーの傑作として、ジョン・レノンをはじめ多くのアーティストにカバーされ、1986年には映画「スタンド・バイ・ミー(Stand by Me)」の主題歌に起用されてリバイバルヒットします。
ちなみに、映画「スタンド・バイ・ミー(Stand by Me)」は、オレゴン州の小さな町に住む、それぞれ心に傷を持った4人の少年たちが好奇心から線路づたいに死体探しの旅に出るという、ひと夏の冒険を描いた青春映画の傑作で、この映画の影響から線路を歩く事をスタンド・バイ・ミーなどと言うようになりました。
「雨音はショパンの調べ」は、1984年4月21日に発売され、同年6月にはオリコン16位にランキング。最高位1位を記録し、小林麻美の代表曲とも言える作品です。
「雨音はショパンの調べ」が収められているアルバム「CRYPTOGRAPH 〜愛の暗号〜」は、1984年8月25日に発売され同年度の日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。また同名タイトルの映像作品では、小林麻美がビデオに初挑戦し、当時ミステリアスでアンニュイな女性として話題の多かった彼女の姿を観る事ことのできる貴重な作品となっています。
再来日したテレサ・テンが、日本でリリースした最初の曲がこの「つぐない」で、1984/1/21に発売、レコード売上げ150万枚を記録した大ヒット曲になります。
ちなみに、テレサ・テンは、「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」と、東西有線大賞3年連続同時大賞・グランプリを達成し、この記録は2007年現在誰にも破られていません。
このドラマは、作詞家で沢田研二とも関わりの深い阿久悠が原作、上村一夫が作画を担当した、講談社「ヤングレディ」誌連載の同名の漫画作品が原作です。主題歌の「時の過ぎゆくままに」も、阿久悠が作詞を担当、作曲・編曲を大野克夫が行うという当時のヒットメーカーの作品になります。
ドラマでは、三億円事件の犯人・加門良役(沢田研二)を演じ、劇中で沢田研二が着用した、斜め被りのパナマ帽とサスペンダーのファッションは、当時の男性のトレンドでした。
ドゥービー・ブラザーズ(The Doobie Brothers)は、1970年にトム・ジョンストンを中心に結成され翌1971年にデビュー、1972年にはリッスン・トゥ・ザ・ミュージック(Listen To The Music)が大ヒットし、一躍アメリカンロックを代表する人気バンドの一つとなった。
70年代を通してドゥービー・ブラザーズ(The Doobie Brothers)は、ヒット曲を連発し、1978年のアルバム「ミニット・バイ・ミニット」とシングルカットされた「ホワット・ア・フール・ビリーブス」はともに全米1位を獲得、その年のグラミー賞でアルバムタイトル曲は最優秀ポップ・ボーカル(デュオ、グループまたはコーラス部門)賞、「ホワット〜」は最優秀楽曲に輝いた。