まさに人気絶頂期のピンク・レディーの大ヒット曲である「UFO」は、78年1月19日に放送開始されたTBS系『ザ・ベストテン』の第1回放送時の記念すべき第1位曲で、3週連続で1位をキープし、11回連続でベストテン入りしました。また、日清食品の「日清焼そばU.F.O.」のCMソングにもなっていました。
78年の歌謡界はピンク・レディーに明けてピンク・レディーで暮れたと言っても過言ではなく、この「UFO」をはじめ出した曲の全てが大ヒット。「UFO」は、同年の第20回日本レコード大賞に見事輝き、同年のオリコン年間シングルチャートで第1位となっています。ちなみに、この年の年間シングルトップ3はピンク・レディーの楽曲で2位は「サウスポー」、3位は「モンスター」でした。
この「運命のルーレット廻して」は、日本テレビ系アニメ「名探偵コナン」のオープニングテーマとして使用されヒットしました。オリコンチャートでは初動売上げも前作「息もできない」より上回り、久々の第1位を獲得してます。
坂井泉水曰く、ZARDのアレンジテイクの中では最も多い曲だと語っており、歌詞は「時計じかけのオレンジ」の映像が浮かんでそのビデオをチェックして歌詞を思い浮かべて、一か八かの賭けみたいな、人生どうなっていくのか、そうゆう危うさをこめた詞だそうです。ちなみに、シングル「運命のルーレット廻して」のカップリング曲「少女の頃に戻ったみたいに」は、カップリングの中では非常に人気の高い曲です。
この「長良川艶歌」は、当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』では、第330回が放送された84年6月7日に第10位でベストテン入りすると、第362回放送の翌85年1月24日までに実に18回もベストテン入りするロングヒットになりました。ちなみに同番組の終了を目前にした89年9月7日の600回の放送では、番組開始以来12年間のベストテンが発表され、第1位には五木ひろしの「長良川艶歌」が選ばれています。
五木ひろしは、この「長良川艶歌」のヒットで、同年の第15回日本歌謡大賞で大賞、第13回FNS歌謡祭でもグランプリを受賞。そして第26回日本レコード大賞では73年の「夜空」以来11年ぶり2度目の大賞を見事受賞します。
フォーク・クルセダーズ(正式にはザ・フォーク・クルセダーズ)は、60年代後半に一世を風靡した音楽制作集団で、加藤和彦・北山修を中心に、はしだのりひこ等がそのメンバー。「帰って来たヨッパライ」は、68年に開始されたオリコンで史上初のミリオンヒットとなり、当時の日本のバンドによるシングル売り上げ一位となる爆発的売れ行きを見せ、一躍メンバーは時の人になりました。
この「帰って来たヨッパライ」は、早回しテープを使った曲であるため、ライブのコンサートで演奏することができない特異な作品でした。ちなみに「帰って来たヨッパライ」は、68年のオリコン年間シングル売上げ第2位に記録されています。
この「君に逢いたくなったら…」は、ZARDのシングルでは「Just believe in love」以来のドラマとのタイアップで、常盤貴子と竹野内豊の共演で注目を集めたTBS系ドラマ『理想の結婚』の主題歌として使用され大ヒットしました。
ちなみに、「君に逢いたくなったら…」のオリコンチャートでの初動売上げは、30万枚をオーバーしたにも関わらず2位。1位は、97年の年間売り上げNo1となった安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」でした。
この「「愛するハーモニー」は、日本での発売は1972年2月5日で、オリコンチャート第1位に輝き28万枚の売り上げを記録する大ヒットとなり、全英でも1位、全米では7位となる世界的な大ヒットとなりました。
ニュー・シーカーズは、63年に結成されたシーカーズが68年に解散し、元シーカーズのメンバーであるキース・ボドガーを中心に男3人女2人で再結成したコーラスグループで、この「「愛するハーモニー」に代表される美しいコーラスハーモニーで、70年代前半に多くのヒットを飛ばしました。
この「風になりたい」は、「日本のサンバを作りたい」という宮沢和史のひらめきから作られた曲で、6枚目のアルバム『極東サンバ』に先行して収録され、後にシングルとして発売され、「島唄」と並ぶTHE BOOMの代表曲にあげられる1曲です。
宮沢和史本人も、詩を書き終えた時に涙したとの逸話があり、THE BOOMの曲の中でも一番好きな曲だとのこと。ちなみに、この「風になりたい」は、DCカードのCMソングにもなっていました。
この「その気にさせないで」では、「年下の男の子」「内気なあいつ」でお姉さん路線へ踏み出したキャンディーズが、もう一歩踏み込んで、ちょっとセクシーなキャンディーズを見せてくれました。
また、この「その気にさせないで」は、10代の頃キャンディーズのファンだったというB'zの松本孝弘が、TAK MATSUMOTO名義でリリースしたアルバム『THE HIT PARADE(ザ・ヒット・パレード)』でカバーしています。
”冬の女王”広瀬香美の97-98シーズンの冬うた。ゲレンデの雪も溶かすのではないか思われるほどの情熱的な「promise」は、ジプシーの音楽を思い起こさせるようなギターで始まるドラマチックな印象を受ける楽曲。
この「promise」も、アルペンのCMソングとしてテレビで流れ大ヒットしました。ちなみに広瀬香美は、これだけ冬の歌を書きながら、クリスマスにライブを行ったことのは、たった一度だけ。。。う〜ん、実に勿体無いことです。
この「命くれない」は、当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』では、第514回が放送された88年1月14日に第8位でベストテン入りし、この番組に演歌歌手である瀬川瑛子が登場すること事態異例なことで、最高位は8位に留まったものの、4連続でベストテン入りをし、さらに同番組の87年の年間第1位に輝きました。
また「命くれない」は、この年の年末に、全日本有線放送大賞と日本有線大賞の2つの有線大賞を見事獲得。大晦日には、第38回NHK紅白歌合戦に瀬川瑛子は、この「命くれない」で念願の初出場を果たします。ちなみに、87年のオリコン年間シングル売り上げNo1は、この「命くれない」でした。
山本コータローがソルティー・シュガー解散し、その後に結成したのが、山本コウタローとウィークエンド。この山本コータローとウィークエンドの最初のシングル「岬めぐり」は、ディスカバー・ジャパンなどの当時の時代背景にマッチして大ヒットしました。
また70年代半ばの修学旅行のバスで一番合唱されていたのがこの「岬めぐり」。いまだに海岸線などのドライヴでは、この「岬めぐり」を、つい口ずさんでしまうお父さんお母さんも多いのではないでしょうか?
この「あなたを感じていたい」は、前作「こんなにそばに居るのに」とまったく異なった雰囲気の曲で、サックスが妙に強調され「もう少し あと少し…」以来のソフトなイメージになっています。
また「あなたを感じていたい」は、NTTドコモ・ポケベル「パルフィーV」のCMソングとして使用されていました。ちなみに織田哲郎が唯一、ZARD編曲を手がけた作品であり、クリスマスの発売のためか少しクリスマスの雰囲気に仕上がっています。
日本では、1980年7月21日にシングル「ダンシング・シスター」はリリースされ、洋楽でありながらオリコンチャート第1位となり67万枚のセールスを記録。本国イギリスでもチャート最高3位となり、ノーランズの代表曲ともなっています。
また「ダンシング・シスター」は、文化放送で長年放送されていた洋楽チャートのラジオ番組『全国ポピュラーベストテン』の前身である「オール・ジャパン・ポップ20」が選ぶ、80年の年間チャート第1位に輝く大ヒットでした。予断ですが、当時人気だったTBS系『ザ・ベストテン』では、洋楽であった為ベストテンの対象外となってました。
サザンオールスターズの音楽は、それまであった歌謡曲やロックなどのジャンルに全く当てはまらない衝撃的な印象で、この「勝手にシンドバッド」のスマッシュヒットで一躍スターダムにのし上がりました。この「勝手にシンドバッド」の曲名は、当時の大ヒット曲である沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」を足して2で割ったというのが定説になっています。
78年当時は「勝手にシンドバッド」のように早い言い回しの曲がなかったため、かなりのインパクトがありました。また、03年にはサザンオールスターズデビュー25周年として「勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス」として再発売。同年7月7日付でオリコンチャート1位を獲得しています。
石川ひとみは、この当時、NHKの人形劇「プリンプリン物語」が人気で、石川ひとみは主人公のプリンセス・プリンプリンの声役を務め話題になってました。ちなみに、この「まちぶせ」は、荒井由実が作詞作曲し、編曲が松任谷正隆の作品です。
当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』でこの「まちぶせ」は、第183回が放送された81年8月6日に第6位でベストテン入りし、最高3位となって9連続でベストテン入りをしました。また年末には第32回NHK紅白歌合戦に石川ひとみは、この「まちぶせ」で初出場を果たします。
岡林信康は、60年代の後半から1970年代の初頭にかけて「友よ」「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」など、名作・問題作を発表しています。
この「山谷ブルース」は、日雇労働者の悲哀を歌ったもので、山谷とは東京の台東区・荒川区にある寄せ場(日雇い労働者の滞在する場所、俗に言うドヤ街)の通称で、岡林信康が実際に山谷に滞在して作ったものだそうです。
この「色づく街」で南沙織は、同年の第24回NHK紅白歌合戦に3年連続3度目の出場を果たします。また、学業専念と、写真家の篠山紀信との結婚を機に芸能活動を引退していた南沙織が、91年の第42回NHK紅白歌合戦で復帰しますが、その時に歌唱したのがこの「色づく街」でした。
ちなみにこの「色づく街」は、80年代に三田寛子が、91年には水野美紀がカバーしてシングルを発売しています。
この「バレンタイン・キッス」は、国生さゆりがおニャン子クラブ在籍中に出したソロデビュー曲で、バレンタインデーの定番の曲となっています。歌詞のサビの部分では「バレンタインデー・キッス」と繰り返されていますが、曲のタイトルは「バレンタイン・キッス」。(このサビの部分で、私は以前「バレンタインデー・キッス」と覚えていました、、、)
当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』でこの「バレンタイン・キッス」は、第416回が放送された86年2月13日に第9位でベストテン入りし、最高4位となって4連続でベストテン入りをしました。なお、この「バレンタイン・キッス」は、81年のオリコン年間シングル売り上げ第14位に記録されるヒットでした。また、フジテレビ系「月曜ドラマランド」のエンディングテーマとして使用されていました。
60年代のローリング・ストーンズの代表曲でもある「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」は、ローリング・ストーンズを代表するロックンロール・ナンバーで、文化放送で長年放送されていた洋楽チャートのラジオ番組『全国ポピュラーベストテン』の前身である「オール・ジャパン・ポップ20」では、68年の年間チャート第1位に輝いています。
ちなみに「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」は、日本では1968年7月10日にリリースされ、オリコンチャート最高17位で17万枚の売り上げでした。
雅夢は、80年代前半に活動したフォークデュオで、80年5月の第19回ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選会で、「愛はかげろう」を歌い優秀曲賞を受賞し、同年9月にこの「愛はかげろう」でデビューしてブレークします。
当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』でこの「愛はかげろう」は、第148回が放送された80年11月27日に第10位でベストテン入りし、最高3位となって12連続でベストテン入りをしました。なお、この「愛はかげろう」は、81年のオリコン年間シングル売り上げ第13位に記録されるヒットでした。
この「タイムトラベル」は、前年発売された「てぃーんず ぶるーす」「キャンディ」と三部作と呼ばれ、同年発売の原田真二の1stアルバム『Feel Happy』も、アルバムチャートで史上初の初登場第1位を獲得しています。
ちなみに、当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』でこの「タイムトラベル」は、第15回が放送された78年4月27日に第8位でベストテン入りし、最高4位となって6連続でベストテン入りをしています。
NSP(ニュー・サディスティック・ピンク)は、73年に第5回ヤマハポピュラーソングコンテストに於いて楽曲「あせ」でニッポン放送賞を受賞し、同年6月「さようなら」でデビュー。この「夕暮れ時はさびしそう」や「赤い糸の伝説」などがヒットし、叙情派フォークを代表するグループとなりました。
ちなみにNSP(ニュー・サディスティック・ピンク)の3人は岩手県出身で、「田舎の堤防 夕暮れ時にぃ♪」のフレーズで始まる「夕暮れ時はさびしそう」は、この曲を作った天野滋の出身地である岩手県一関市の磐井川河川敷が舞台だそうです。
また、3分ほどに短縮されて収録されたシングル・バージョンとは別に、アルバムではスローで色彩感の強い7分の曲にアレンジされた、フル・ヴァージョンの「キープ・ミー・ハンギング・オン」が収録され、アルバム『キープ・ミー・ハンギング・オン』も全米6位となっています。
ちなみに、バニラ・ファッジは、66年から69年まで活動していたアメリカのバンドで、バンド名の由来は、当時のアメリカで販売されていたアイスクリームの商品名からとったもの。この「キープ・ミー・ハンギング・オン」は日本でもヒットし、オリコンチャート最高11位で20万枚の売り上げを記録しています。
来生たかおは、井上陽水のバックバンドなどを経て、76年に「浅い夢」で歌手デビューしたシンガーソングライターで、しばたはつみの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」の作曲を担当して、世間の注目を浴び、この「夢の途中」でその人気を不動のものとしました。
この「夢の途中」は、薬師丸ひろ子主演の映画「セーラー服と機関銃」の主題歌で、薬師丸ひろ子が歌った「セーラー服と機関銃」の来生たかおバージョンとして発売され両曲ともに大ヒット。来生たかおは、この年の作曲者別のオリコン年間売り上げでも第2位となっています。
USED TO BE A CHILDは、日本版「ウィ・アー・ザ・ワールド」 (We Are the World) ともいわれ、当時人気の高かったアーティストで結成され、そのメンバーには、飛鳥涼・小田和正・カールスモーキー石井・玉置浩二・徳永英明 ・浜田麻里・山本潤子が参加。なお、「僕らが生まれたあの日のように」は、WELCOME BABY キャンペーンソングとして使用されてました。
この「僕らが生まれたあの日のように」は、オリコンチャート最高2位となり65万枚を売り上げ、その収益金で愛媛県今治市に「風の顔らんど・小島」を創設されました。
越路吹雪と言えば、宝塚歌劇が生んだシャンソンの女王。この「愛の讃歌(賛歌)」は、その越路吹雪が師と仰いだエディット・ピアフが歌い、その後も世界中の多くのアーティストにって歌われ、日本でも美輪明宏、美川憲一、淡谷のり子と多くの歌手によってカバーされてきたシャンソンの名曲です。
この「愛の讃歌(賛歌)」の日本語歌詞は、越路吹雪のマネージャーであり作詞家の岩谷時子により作詞され、原詩が「愛のためなら盗みでもなんでもする」という背徳的な内容であるのに対し、岩谷訳詩では一途な愛を貫くという賛歌となっています。なお、越路吹雪はこの「愛の讃歌(賛歌)」を、1969年の第20回NHK紅白歌合戦に出場した際に歌唱。また「愛の愛の讃歌(賛歌)」が収録されているレコード・CD等の売上枚数は200万枚以上を数えているそうです。
この「星のラブレター」は、ドラムとハーモニカによる出だしが特徴的で、メロディや詩はシンプルながらも奥の深いラブソング。ライブでもよく歌われており、THE BOOM出演の赤い羽根共同募金のCMソングにもなっていました。
また、ウッチャンナンチャンとダウンタウンが出演していたフジテレビ系の深夜番組『夢で逢えたら』の「バッハスタジオ」というコーナーにTHE BOOMが講師として出演し、同番組のレギュラー陣が結成したバンドの課題曲としてこの「星のラブレター」のコピーに挑戦していました。
この「風のLONELY WAY」は、日本テレビ系『火曜サスペンス劇場』の6代目の主題歌として87年12月1日〜88年12月20日まで使用されました。
当時人気のTBS系『ザ・ベストテン』では、この「風のLONELY WAY」は、第516回が放送された88年1月28日に第4位でベストテン入りし、最高2位となって6連続でベストテン入りをしています。
この「朝がまた来る」は、江口洋介主演のフジテレビ系ドラマ「救命病棟24時」の1stシリーズの主題歌として使用され大ヒット。カップリングの「三日月」も同ドラマの挿入歌となっていました。
DREAMS COME TRUEとしては、「ROMANCE」以来3年3ヵ月ぶりにオリコンランキング首位を獲得。また、同年4月の10枚目のアルバム『the Monster』を発表し、この「朝がまた来る」と「三日月」も同アルバムに収録されています。
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)は、60年代後半から72年に解散するまでロック界に大きな足跡を残し、この「雨を見たかい」や「プラウド・メアリー」「ダウン・オン・ザ・コーナー」などが代表曲になります。ちなみ、86年のTDKカセットテープのCMにサザンオールスターズがカバーした「雨を見たかい」が使用されました。
この「雨を見たかい」は、単なるお天気の歌ではなく、ベトナム戦争で大量に使用されたナパーム弾を皮肉ったもので、当時米国では放送禁止にもなっていました。なお、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)は、ロック界に大きな足跡を残した功績により、93年にロックの殿堂入りを果たしています。
ブログに寄せられたコメントによってドラマの展開が変化するという今までに無かった試みが面白い!!
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